気が付けば、あと2日で一月が終わってしまいます。あっという間の1ヶ月でした。今月を振り返 ると「ハム様」と「映像」のことを多く書いてきましたが、今日は久々に哲学ネタで行きたいと思 います。
哲学という思考方法は基本的にものごとを疑っていく方向で進化してきていますが、逆に何も疑 わない常識的な見方も一つの哲学理論となっています。
我々の外界の存在や真偽を認定することにおいて判断根拠を「観念」であるとした経験論学説を批 判して「常識(コモンセンス)」を打ち出した哲学者にトマス・リード(18世紀)がいます。
常識を認識論的な概念装置に使うということは、要するに我々が常識を形成する能力に着目して認 識を研究するということであります。一見すると拍子抜けするほど簡単なことを言っているようで いて、さにあらずです。
「我々はものごとを見る際に無意識的に「常識」というフィルターを通して見てしまっている。し かし認識論的な研究においては重要なのは、その「常識」を形成するメカニズムの方である。」
彼の主張を要約するとこうなりますが、彼の学説は現代の欧米の心理学界においては、現在の主流 派といえる機能主義心理学に多大な影響を与えたとして非常に評価が高くなっています。
彼の学説の持つ根本的な重要性または現代社会におけるアクチュアリティはインターネット時代に おいて日に日に増しております。
取り分け映像や文化の受容の文脈においては決して見逃すことの出来ない哲学理論であります。
現代人はネットによる情報ビッグバンの時代に生きているといえますが、その中を生き抜く知恵を 主にネットから得てきている現状では取り分け重要な意味を持っています。
と言うのは、ネットの上の情報は当然、発信者の常識を下に形成され流されています。つまり情報 が流される以前の段階で発信者の価値判断が混入してしまっているからであります。
我々はネット上の情報の真偽を確かめるには、情報を発信している人の常識の形成メカニズムにま で遡らなければ不可能になってきています。
そのような時代だからこトマス・リードの学説は不滅の輝きを放っているのです。
確かに彼の哲学は一見地味で、特に若い人たちには敬遠されがちですが、実は哲学史のみならず心 理学やメディア論の研究の中でも重要な源泉の一つになっています。
日本語で読める彼の文献には「心の哲学」というのがありますので、興味のある方は是非チェック してみてください。
最後にタイトルにある「常識を信じろ!」とは闇雲に全ての情報を信じろという意味ではなくて、 常識の形成メカニズムまで遡れば全ては真であるという意味です。
それでは、See You Next Ariticle!
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