皆さん、こんばんは。帰ってきたIDEA_MENこと功木マキオです。久しぶりの更新になりま す。皆さんは如何お過ごしですか?この夏はフェイス・ブックを重点的にやっていましたが、この ブログのことは常に頭にありました。やはり「マキオロジー・ザ・バイオロジー」は功木マキオの 原点であると思っています。今後ともよろしくお願いします。
さて、もう既に何度も書いていますが、我々の主張の1丁目1番地はレームダック化した日本最古 の大学である「足利学校」を再建して日本の可能性を世界に示すことにあります。
その目的を達成する為に我々は「哲学」と「映画」の総合をして「ポストシネマ」という新しい 「知」の形式の研究開発を行ってきました。以前に書いた「WEB・シネマ43」と若干違う部分 がありますが、基本的に同じ方向性の研究であります。
幸いに今年の夏は「ポストシネマ」の実証実験を行うことができました。「マキオロジー・ザ・バ イオロジー」の時にはなかなか出来なかった動画と音楽のコラボが思う存分試せて驚きと興奮に満 ちた夏になりました。
その結果「ポストシネマ」の姿が我々の眼前に完全なる実像として姿を現しました。ドゥルーズの 「シネマ」やハイデガーの「存在と時間」などの詳細なる研究の結果、我々の結論を述べさせても らえば現代は実質的にもう既に「ポストシネマ」の時代に突入してしまっているのです。
インターネットの登場という人類にとって未曾有の一大変化を遂げた人類にとって、映画の下部構 造としてのデジタル・テクノロジーは既に何十年も先を行ってしまっています。むしろ我々の認識 の方がそのスピードに追いついていけてないのが実情だと思います。
そんな時代なので当然「哲学」と「映画」の融合はこれからどんどん進んでいくと思われます。 我々の研究は先回りして「ポストシネマ」の可能性を追求してまいりましたが、ようやく時代の方 が追いついてきたなあという感慨があります。
さて足利市の「映像のまち」構想についてですが、今述べたように「哲学」と「映画」の融合が世 界の流れだとすると、孔子を盲目的に崇拝している「旧・足利学校」との整合性をどうするかとい う問題が出てきますね。
我々の主張する足利学校再建プロジェクトである「ザ・再建」においては、新しい足利学校では 当然グローバル化に対応した「哲学」や「映画」なども教えるべきだと主張しています。
一部の方々に誤解があるかもしれませんが、足利学校再建プロジェクト「ザ・再建」はもちろん足 利学校を復活させるのだから足利市のローカルな問題であります。しかしそれと同時に日本全体や 世界の人々にとっての普遍的な側面もあります。
といいますのは、日本人にとって学問や文化の象徴的な場所である「足利学校」を再建することは 「地方創生」や「日本再生」につながる「地方分権の切り札」的な意味合いがありますし、学問に とって国境はないのですから。
その意味でこれからの東京五輪までの5年間は日本にとっての歴史的かつ文化的な転換点になるで しょう。
今年2015年はその東京五輪への実質的なカウントダウンが始まった年であり、さらに映画誕生 120年という年であり、ポストシネマの実証実験が行われた「ポストシネマ元年」なのです。
まだ今年は1/3に残っているので振り返るのは少し早いかもしれませんが、個人的には5月にフ ェイス・ブックを始めたのが最大の事件かなと思っています。それによって自分は日本人であるこ とを強く意識するようになりました。
ドイツやフランスもいいけどやっぱり日本だよね。という気持ちになってきました。「ポストシネ マ」の可能性も含めて日本の可能性はまだまだあるよね。と言いたいです。
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