哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2015/02/19 20:57:31|その他
だからハムニストはやめられない !!!
私達が普段何の気なしに過ごしている日常の中に、実はよくよく考えてみるとると途轍もなく凄い
瞬間に出会っているかもしれません。功木はハムニストとしてオジョーというハム様のお世話をす
る中でそんなことを実感させる出来事がありました。

昨日の午後3時頃、功木はオジョーの様子が知りたくてオジョーのケージが置いてある部屋にふら
っと入ってみました。夕飯にはまだ時間があるのでオジョーは巣箱の中で大人しくしています。

異常なしで心配ないなと思いつつ、せっかく来たのだから抱っこでもしてやるかと思い功木は「ハ
ムちゃん、ハムちゃん」とオジョーを呼んでみました。

するとオジョーは寝起きの眼をパチクリさせながらゆっくりと巣箱から出てきます。いつものよう
にチューブを通って功木の手の待つ展望デッキに上がってくるのかと思いきや、チューブとは反対
のオジョーが自分でトイレと決めた隅っこの部分に行って静止しました。

オジョーは功木の眼を意味ありげに見ながら数秒間そのまま静止した後に動き出し、功木の手に抱
っこされにデッキに上がってきました。

功木はこの一連のオジョーの行動を「オジョーは尿意があったので、抱っこされる前にトイレを済
ましておこう」と思って先におしっこを済ませたのだなと解釈しました。

人間の視点から見れば何の変哲もない行動なので、最初は気付きませんでしたが、何か引っかかる
ものを感じました。なので少し経ってからその意味を良く考えてみると、実はオジョーの取った行
動は普通のハムスターレベルから考えれば実に驚嘆すべき行動であったことに気付いたのです。

状況から考えればオジョーは明らかに功木の手をおしっこで汚さないようにと、人間に対して気遣
いをして通常の行動パターンに変更を加えたのであります。

オジョーの取った行動は明らかに利他的であり、ある種の状況判断を含んでおり、素晴らしい知性
の輝きを放っています。

オジョーの一連の行動があまりにも自然であったが為に、功木はその真の意味を見逃してしまいそ
うになりましたが、やはりオジョーと対峙するときは極度に精神を集中させてその任に当たらなく
てはならないと反省することしきりであります。

オジョーにはお世話している功木にもそんな気持ちにさせる、底知れぬ凄みを感じます。そこら辺
がオジョーを「スーパー・ハム・スター」と呼ばさせている所以なのかもしれません。

前回の記事で書きましたように、そのオジョーの力強い「オジョー・ジャンプ」と共に春がやって
来ますが、本来、春はハム様たちの生命力が爆発する季節であります。

功木もオジョーたちの力をお借りしながら、この春の戦いを乗り切って行きたく思います。

それでは、See You Next Article!







2015/02/18 20:23:33|その他
オジョーが跳んだ !!!
皆さん、こんにちは。功木です。現在、足利の天気は雨が降っていますが、気温が暖かいので多分
雪にはならないだろうと思われます。去年の二度の大雪で雪にはかなり神経質になっていて、心配
していましたので、ほっとしています。

さて今回のように、雪が降るか降らないかとかゲリラ豪雨があるかどうか、と言う天気予報を見て
も予想が難しい微妙な天気の場合はうちではハム様に訊くことにしています。正確にはハム様の様
子を功木が見て判断するのですが、とにかくハム様、取り分けオジョーは天気に敏感であります。

昨日の夜8時頃ですが、いつものように食事を終えてオジョーを手の上で遊ばせていたのですが、
いつもに比べて落ち着きが無くてそわそわしています。その様子を見てオジョーをケージの中に
戻してやると元気よく回転車を回し始めました。

いつも餌をやっているケージ上部の展望デッキの部分が汚れていたので掃除しようとデッキを外し
ました。

オジョーがいつもいる一階の部分とデッキはチューブでつながっているのですが、デッキを外して
しまうとチューブの端までしか行けず、その先に進むと一階に落下してしまいます。

もし落下しても距離にして15センチぐらいで、下には柔らかい木製の床材が敷いてあるので怪我
は心配ありません。

普段、デッキを外して掃除している時はオジョーはチューブの端まで行って、引き返してくるので
すが、昨晩は功木の予想外の行動にでました。

オジョーはデッキが外されているのを見ると、するすると一階にある巣箱の屋根に駆け上がり、次
の瞬間「えいやーっ」とばかりにチューブの端を目指してジャンプしたのです。

功木はそのカエルの様なジャンプの美しさと結果的に力不足であえなく途中落下してしまったオジ
ョーのばつの悪そうな様子が絶妙のコントラストを成していて、何とも言えない気持ちになりまし
た。美的感動とギャグを同時に見せられたような、まさに新感覚な体験を与えられた気がします。

まあ、それはさておき、これからの天気のことが気になっていた功木はこの一世一代のオジョー・
ジャンプを見せられて、「訊くまでもないな、雪は降らないな」と確信しました。

そして一夜明けて、現在まで雪は降っていません。

今回のことのみならず、オジョーの天気に対する鋭敏さはある意味最新のお天気レーダーをしのぐ
ものがあります。局地的なゲリラ豪雨などに対しても驚異的な精度で雨の降ることを感じ取ってい
ます。

そして、このオジョー・ジャンプは功木に2015年の春の到来を予感させてくれました。全ての
人々に対してオジョーのジャンプは挑戦することの大切さや勇気を持つことの重要さを訴えかけて
いるように思えました。

読者の皆様にも良い春が訪れることを願いつつ、See You Next Article!







2015/02/16 17:08:21|その他
技術とシネマ
母親を近くの病院に連れて行くと、待合室に高精細の40インチぐらいの大型ディスプレイが設置
されていて診察を待つ間にそれに映し出される番組を見ています。

映像がきれいで臨場感があるのですが、功木の目には何となく刺激が強すぎる気がします。10分
程度見ているだけで目が痛くなってきます。昔のブラウン管のテレビの時や現在家にある30イン
チのPC・モニターの場合はそれ程刺激は気にならなかったのですが、最近のテレビの場合はやけ
に気になります。

子供の頃に映画館で観た映画の場合はスクリーンに映写された反射光なので目に優しくて、1日1
0時間以上見続けてもそれほど目は疲れませんでした。最近のテレビモニターの場合とは大違いで
す。

仕事でテレビモニターを研究開発している人には申し訳ないですが、製品を売る側の人は人間の目
が受け入れられる視覚情報には限りがあり、それを超えた場合には不快に感じてしまうということ
を認識して製品開発をして頂きたいと思うのであります。

もちろん研究者の方々はこの問題に関しては気付いておられるとは思いますが、やはり技術優先主
義と製品が売れれば良いという考え方に傾いているのは否めないと思います。

むしろこの問題に関しては一般ユーザーの方の認識が問われる問題なのかと思います。

インターネットやテレビにに高精細映像を写すために、ひたすら技術開発競争に専心してしまうの
はの危険な面もあるのです。

我々の考えとしましては、映像の技術開発においてはそれを使ってコンテンツを制作する側との倫
理面での共通認識が必要であると思っています。

と言いますのは人間の視覚のメカニズムについては最新の科学的知見をもってしても解明されてい
ない部分が大きく、その欠損部分を仮説やある種のイデオロギーによって補われているのが現状で
あるからであります。

このことは我々の根本的な主張である「映像と哲学は融合されなくてはならない」ということの、
論拠になっていることでもあります。

次から次へと人間の受容可能な範囲を超えて開発されていく映像技術ですが、それらを使わなくて
は作品を作れない、もしくは制作が困難であるということも事実なのであります。この点に映像を
使った文化や芸術活動にたずさわる人々のジレンマがあります。

我々の研究している「WEBシネマ・43」においてはこの「技術」と「作品」と「オーディエン
ス(観客)」との三者の関係を徹底的に考えていきます。

従来のシネマは作る側と観る側との二者関係で構成されていたのを技術を媒介させることによって
三者関係に止揚させることを目指すのです。

こうすることによって初めて21世紀の新しい市民参加型のシネマの可能性が開けてくるのだと思
います。

評価する側とされる側は対等な関係、平等な地位にいなければ真っ当な評価は出来ない。これは
理の当然と言うものであります。

これを社会的に実現させるのが「市民哲学」でその具現化が「WEBシネマ・43」なのです。

それでは、See You Next Article!







2015/02/14 23:50:52|その他
ハイデッガー主義#2
先日20世紀のドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーのことについて書きましたが、あれだけ
では書き足らないので更に書きたいと思います。

功木がハイデッガーの名前を初めて知ったのは、昔英語の勉強の為に読んだスクリーン・イングリ
シュという映画のシナリオが日本語対訳されていた本を読んだ時です。その本の中に「リトル・ロ
マンス」という映画のシナリオが載っていて、主人公の少女が年少の中学生か高校生でハイデッガ
ーの本を読んでいて相手の男の子を驚かせるという場面があります。

映画自体は子供同士の純愛もので分かりやすかったのですが、ハイデッガーの名前だけが鮮烈に
記憶に残りました。しかしその時は子供心に西洋世界にはハイデッガーという知の巨人がいるのだ
なと思ったぐらいであまり深くは追求しませんでした。

その後大人になって新聞配達のアルバイトを始めた時に、その新聞店の店長がハイデッガーに傾倒
しているハイデッガリアンで、仕事の合間にその偉大さをしょっちゅう聞かされることになります
。功木はハイデッガーを語る店長の熱い情熱に感化されて哲学という学問の素晴らしさに目を開い
ていくことになります。

とは言えその当時の功木にハイッデッガーの思想の深さや巨大さは到底理解できるものではありま
せんでした。ハイデッガーの全貌を自分なりに理解できたと言えるようになるまではその後長い年
月を要することになりましたが、それだけの時間をかける価値があると思うし、これから死ぬまで
ずっと付き合っていかなくてはならない種類の思想なのだと思います。

それは人間学的な意味でもそうですが、文化哲学者としてのハイッデッガーはこれからどんどん哲
学研究者以外にも普及していってメジャー化していくことが予想されるからであります。

人文系の学問にとっては既に常識化されていますが、ある意味21世紀の文化はハイデッガーから
始まると言っても過言ではないと思います。

従来の文化が精神と物質の二元論的なデカルト主義の産物と見るならば、これからはハイッデッガ
ー的な超越論的な文化の時代と言うことができるでしょう。

先日功木はこれからハイデッガーの哲学を学ぼうとしている方から、まずどの本を買ったら良いか
と質問されましたが、そんな方にぴったりのガイド・ブックが出版されましたので紹介します。
もちろん、初学者だけではなくて全てのハイデッガーを学ぶ人に推薦しますのは法政大学出版局
から去年の11月に出た「ハイデガー読本」です。

ハイデッガー自身の著書と関連図書を集めれば一つの図書館が出来るくらいに膨大な量の文献が
ありますが、効率よくハイデッガーを学んでいく為には、まずはガイドブックや事典の類から攻
めていくのが良いでしょう。

最新の研究成果が収められているという意味でも「ハイデガー読本」はお薦めであります。もち
ろん功木の書棚にも一冊並んでおります。

紹介ついでに書きますと、カントやヘーゲルなどの重要で難解な哲学者の思想にも先ほど書いた
ことは当てはまります。昔、一万円以上した事典が最近は縮刷版でわりと手ごろな値段で出てい
ますので本格的に哲学を学ぼうと思っている方にはそちらもお薦めです。

読者の皆さん、哲学の春はもうすぐです。頑張りましょう!

それでは、See You Next Article!

 







2015/02/13 15:54:00|その他
文化ウォーズ
最近、某アイドル・グループのネット動画を見る機会がありましたが、動画の内容とは関係ない所
で、見てみてびっくりしたことがあります。

功木がその昔、「映画の芸術性とは何ぞや?」ということ知りたくて世界映画史の最初の約30年間
続いたサイレント(無声)時代の映画を集中的に見ていた頃を思い出してしまったのです。

ネット動画の制作者や出演者はまさか自分たちの作った動画を見てサイレント映画時代のマレーネ
・デートリッヒやグロリア・スワンソンを思い出す人がいるとは、夢にも思っていないでしょうが
、往年の映画ファンやコアな映画マニアの人なら案外功木と同じ感想を抱くかもしれません。

初期の頃の映画は演劇やボードビル芸をそのまま撮った作品が多くて、しかも音声を入れる技術が
確立していなかったので、字幕と出演者のジェスチャーで内容を伝える演出をしていました。

最近のテレビ番組やネット動画などをみるとその両方が形をかえて現代に蘇っていることが分かり
ます。いわゆる先祖帰りと言うやつです。

その現象を見るにつけ、強く思うのは映画の歴史というのはただ単に直線的に一方向だけに進化す
るのではなくて、行きつ戻りつあるいは複数に分かれたりしながらランダムに進化するのだなあと
いうことであります。

これは「哲学」という学問から専門化されて複数に細分化されていった学問一般の歴史と軌を一つ
にします。

これから映画というものは、哲学やネットの技術と結びついて映画草創期以来の一大変革期を迎え
るものと予想されます。

デジタル機器の進歩により映像ビッグバンと呼ばれている現象が起きていますが、そうなってくる
と重要になってくるのが観る側での鑑賞能力を如何に上げるかということなのではないかと思いま
す。

当然でありますが、人間の一生には限りがあり映画や映像を観ることに使える時間はさらに少なく
なってきます。その人が何を観たいのかや、何を観るべきなのかを自分だけで選択するのは、はこ
れだけ膨大な量の作品が流通してくると本当に難しくなってきます。

なので、これからの時代は信頼の置ける公共的な映像アーカイブの設立やその作品をインデックス
して誰でもある一定の基準から探せる仕組みが必要になってくると思います。

これは、基本的には地域や自治体単位で運営が好ましいと思います。何故かといえばこのシステム
は地域の映像力や文化力の強化する為のシステムでもあるからです。

地域には世界中でそこにだけしかない情報や価値があります。文化とは本来はその地域のものであ
り個性的なものなのですが、現在の状況はどうでしょうか?全てが普遍化されて平準化されてしま
った文化というものは文化と言えるのでしょうか?

我々はこれからの地方分権の時代は地域間文化競争(文化ウォーズ)の時代になると予想していま
すが、この時代を生き抜くには二つのことが重要だと思います。一つは競争に参加することでもう
一つは学問的な知識による理論武装であります。

理論武装という言葉を使ったのは、人から与えられる知識ではなくて自分たちで学び取る知識とい
うニュアンスを表現したかったからであります。

実質的にもう既に文化ウォーズは始まっていますが、解決しなくてはならない問題は山積していま
す。皆さんと一緒に問題解決への道を探っていきたいと思っています。

それでは、See You Next Article!