功木が哲学を志した頃の夢は実にささやかなものでした。「普通に哲学書を読んで普通に理解でき るようになる」というものです。これは前回の記事で書いた「ソフィーの世界」の影響が大きい気 がします。
その頃は、それがどんなに大変なことなのかを理解していませんでした。普通に読めるようになる のは、さほど難しくないと高をくくっていたところがありました。
しかし実際に足を踏み入れてみると、西洋哲学の歴史2500年はとてつもない壁となって功木の 前に立ちはだかってきました。
難解さをもって知られれる哲学史上の書物は初学者だった功木の甘い夢を完膚なきまでに打ち砕き ました。
読んでも読んでも内容が頭に入って行かない時期もありましたし、哲学のことなどきれいさっぱり 忘れて何か違うことを志そうと思ったこともありました。
今から考えれば挫折しない方が不思議なほどの前途多難な状況でしたが、何が功木マキオをそこま で突き動かしたのかは、正直なところ自分でも良く分からないのです。
結局、最後は哲学書を手に取ってしまうのです。
このようなことを何度か繰り返すうちに、自分は「哲学」という学問に選ばれているのだという意 識が芽生えてきました。それはやがて、功木マキオは哲学をやる為に生まれて来たのだという確信 に変わって行きました。
この辺りに来ると、「哲学」に対する使命感をはっきりと意識するようになってきました。しかし それは哲学一般に対してで足利学校には結び付いていませんでした。
その使命感を足利学校の歴史に対する使命感へと導いてくれたのが、当時功木が新聞配達をやって いた新聞店の店長で功木の哲トモ(哲学仲間)だったHさんです。
Hさんはその当時の功木より哲学一般に詳しくて、頭も相当良かったです。仕事の合間だけでなく 休みの日も一緒に飲みに行ったりして親しくさせてもらっていました。
そんなHさんが、ある日の雑談の中で言った「足利学校でヘーゲルの精神現象学を教えてもらいた い」という一言が功木の頭の中に残っていて、その後具体的な像を結んでいったのです。
これが足利学校改造論に関する歴史の真実です。
功木は一体何処から「哲学」と「足利学校」を結び付ける想を得たのか、とよく聞かれるのですが 、以上の記述をもって公式発表とさせてもらいたいと思います。
何はともあれ、足利学校を再建するという発想の原点はそこにあるのです。
「足利学校再建」という究極の(CITZEN DREAM)市民の夢の実現へ向けてこれからも、 日々「哲学」の研究にいそしみたいと思います。
IDEA_MEN(イデア・メン)=功木マキオとしては、それしか仕様がないのですから。
Schluss fur heute!
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