功木は「足利学校=学校様」は何より足利市民によって研究されなくてはならないという強い思い を抱きながら「哲学」を研究してきました。その学問の特性上から人間の思考の傾向性に逆らい、 感情や社会的なしがらみなどを排除して純粋に思考することを旨としてきました。
結果、現在の「足利学校=学校様」研究には強い危機感を抱かざるを得ません。 我々の研究においては、「足利学校」が史跡と指定されその機能を停止して以来、日本や哲学の歴 史において極めて深刻な空隙が生じてしまったと考えています。
日本の近代化という歴史のある一局面においてなされた判断が現在でも負の現象を生み続けている 現実を見るにつけ、「哲学」という学問の根本的な重要性を噛み締めながらゴールデンウィークを 過ごしています。
さて本日は皆さんにお知らせしたいことがあります。毎回このブログに掲載している写真のことを マキオロジーでは「IDEA_MEN(イデアメン)写真」と呼ぶことにします。ある読者の方からブログを 構成する重要なエレメントなっているので、呼び方を統一した方が良いとアドバイスをして頂きま したので今回発表させて頂きます。
既に書かせて頂いたように、マキオロジーでは箱モノとしての「史跡・足利学校」と形而上学的価 値としての「学校様」とを分けて考えています。それはエドムント・フッサールの「現象学」の認 識論における「内在」と「超越」とに対応しています。
さらにフッサールの弟子のハイデッガーの「存在論」の用語を使えば「足利学校」の存在の背後に は、我々の「歴史意識」が潜んでいるのです。
このように「足利学校」の捉え方一つ取っても既存の「哲学」の概念装置を借用しなくてはならな い程、「足利学校」と「哲学」は密接に結びついています。
「足利学校」の研究において「哲学」が根本的な重要性を持っているということを分かって頂きた いのです。
功木には東洋文明と西洋文明が邂逅する「足利」という土地において「学校」という学問的伝統が 起こり、やがて「形而上学的価値」であるところの「学校様」が性起したということは単なる偶然 とは思えません。
その「約束の地」としての足利において「足利学校=学校様」の研究は足利市民が主体的に行うこ とにこそ意義があるのです。
そして現在進行中の「歴史と文化のまち」から「映像のまち」への先進的な試みも巨視的な目で見 れば「足利学校=学校様」のあるまちの運命を感じさせる現象です。
早晩、訪れるであろう「市民哲学の時代」に備えて足利市はパラダイム・シフトの時代に入ったと 言えるでしょう。「守るより攻めろ!」なのです。足利市民の雌伏の時代は終わりを遂げたのです。
「足利学校=学校様」は人類にとって、地理的な意味においてではなくて、形而上学的意味におい て知的世界最後のフロンティアなのです。
このことは「足利学校=学校様」の世界戦略としてもっと世界にアピールすべきだと思います。
足利市と「足利学校=学校様」との関係はイタリアのローマとカトリック教会の総本山のバチカン との関係を参考にして考えると良いと思います。
もちろん学問と宗教との違いはありますが、その本質的な意味において見習うべきところは沢山あ ると思います。
要は「足利学校=学校様」の世界戦略を立てなければならないという事なのです。
その世界戦略とは今までのようにアジアの中だけではなくて西洋世界をも視野にいれた「足利学校 =学校様」普遍化計画を立てなくてはならないのです。
その昔イエズス会の宣教師ザビエルが日本に来た際に「足利学校」を西洋世界に紹介したように、 今度は日本から西洋世界へ向けてある意味恩返しとして復活した「学校様」のプレゼンス(存在感 )を示すべきなのです。
明日5月5日は子供の日ですが、生物学的な意味においての子供と同じように「哲学」や「思想」 もその時代が生み出す一つの子供なのです。
「足利学校」という学問的母体が一人でも多くの子供(学問)を生んで立派に成長することを願っ てやみません。
Schluss fur heute!
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