哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2014/07/09 13:22:03|その他
学校様入門
今回の更新で記念すべき100回目のアップになります。今まで付き合ってくれた読者の方には感
謝の念に絶えません。本当にありがとうございました。これからも今まで以上に全力を尽くす所存
でありますので宜しくお願いします。

さて今回のIDEA_MEN写真は今までの方法論が集約的に出たこれまでの集大成的な作品にな
りました。今回の作品「学校様入門」とこれから掲載される予定の二つの作品と合わせて3部作(
トリロジー)になる予定です。そして、それらを総称して「学校様トリロジー」と命名させてもら
います。

さらに重要なことは、功木は「天下分け目の関ヶ原」と位置づけた、この夏の「歴史」対決を制す
る為に3つの施策を行います。これを安部総理のアベノミクスにあやかって「3本の矢」としその
先陣を切って放つ「第1の矢」が今回のIDEA_MEN写真の「学校様入門」であるのです。

尚第2、第3の矢が何かについては次回以降の記事で発表していきます。

今まで散々足利学校の関しては書いてきましたが、今回ついにその本質であるところの「形而上学
的」としての足利学校つまり「学校様」なのですが、を「表現」として捉えることに成功しました
。単なる観光絵葉書的な足利学校ではなくて、ノエシス的に捉えた「生き生きとした学校様」の実
相を写真として表現したのです。

今回を含めて、これからの3作品はIDEA_MEN写真の真価が問われる極めて重要な3部作に
なると認識しています。足利学校に対する人々のステレオタイプ的な認識を根底から覆すにはもち
ろん長い年月が必要ですが、それには質の高い文芸・芸術作品を生み続けるのが一番の近道である
と思います。

我々Gakkousama-Childrenとしては色々な意味でモニュメンタル・イヤーの今年2014の夏に
足利市のこれから先の1000年へ向けて壮大な打ち上げ花火を打ち上げたいと思います。(もち
ろん比喩的な意味でです)

この記事を書いている7月9日現在で、まだ梅雨も明けていないのに「暑すぎる夏」がスタートし
てしまいました。

それでは

Schluss fur heute!


 
 







2014/07/07 1:33:17|その他
平成ディヴィジョロジー(Heisei-Divisiology)の時代に寄せて
現足利市長の和泉聡氏の大号令の下、「映像のまち」さらにはその論理的帰結としての「メディア
都市」へと急速に舵を切った感がある足利市ですが、これはある意味で市民が誇りとしている「歴
史と文化」と市民一人一人が対決しなければならなくなったということなのだと思います。

これは、真の意味で足利市が国際文化都市へ発展していく為には避けることのできない一種のイニ
シエーション(通過儀礼)なのではないでしょうか。

古いものと新しいものをブレンディングしながら新しいものを創り出す。これはまさにヘーゲルや
マルクスの言うように歴史の発展法則であり文化の生成原理なのです。

だとするならば我々足利市民の取るべき態度は傍観するのではなくて、参加(アンガジェ)するこ
とだと思います。

何に参加するのか?それは今回の「映像のまち」構想においても言えることなのですが、基本的に
は市民が主体となった「公共文化圏」を立ち上げてそこに自ら参加すると言うことです。

そしてその「公共文化圏」は必然的に学問的かつ権威的な根拠付けを必要としています。
この点がまさに「足利学校再建」が歴史の急務である理由なのです。

一方、「哲学」の世界においては人類史上未曾有のデジタル革命が進行中の現在において、「哲学
」史上最大のテーマの一つと言える「表象=映像」との対決が進行中であります。

「マキオロジー」においてはこれらの一見二つの別々の現象に思えるものが実は同じものの二つの
側面であるという考え方を取ります。

システム論的に見れば、これらを別々なものに思わせているもの。それこそがカント哲学でいう
「仮象」なのです。

そして我々が本当の意味で「地方分権」しなくてはならないのはこのシステム論的に見た映画、つ
まり「映画システム」なのです。

インターネットの普及やデジタル機器の進歩に伴い、近年その映画システムの地方分権が急速にカ
スケードしています。

この様な現象に特徴付けられる今の時代を功木は『平成ディヴィジョロジー』と命名しました。

そして、必然的にその時代において要請される最重要学問は『映画地方分権学』となります。

我々は全く新しい学問的地平に立っているのです。

そして、さらに歴史の要衝としての「足利学校」を人類の歴史の上でどのようにポジショニングし
ていくのか?足利市は1000年構想を打ち出す時期にきているのではないでしょうか?

足利尊氏の夢よもう一度ではないですけれど、足利市民の究極のCITIEN DREAMとして「足利学校」
を再建して、そこを拠点として世界に冠たる「文化=歴史プロジェクト」を成功させようではない
ですか。

その意味で今年は足利市民1000年の夢のスタートラインに立った年と言えるでしょう。

Schluss fur heute!







2014/07/04 15:36:00|その他
IDEA_MEN is coming home ! (イデアメンは帰省中です)
読者の皆さん、こんにちは。功木です。梅雨の悪天候により様々な大変な状況が起きているようで
す。今が胸突き八丁です。もう少し辛抱すれば、明るい太陽の季節がやってきます。皆さん、一緒
に頑張りましょう。ただし熱中症には気を付けて下さいね。

と言う訳で本日の本題に入りますが、今日は記事のタイトルにあるようにIDEA_MENこと
功木の実家である「アジール界」について書きます。
この夏の「足利学校再建」を賭けた「夏決戦」を前に、功木は心を静める為に実家である「アジー
ル界」に帰省しています。今回のIDEA_MEN写真はその際の写真です。

「アジール界」とはマキオロジーの専門用語で、二項対立的なロゴス中心主義による「都会」と
「田舎」といった二分法により抜け落ちた残余としての「地方」を指します。それを「知のアフォ
ーダンス」を(分有)シェアすることにより「判じ絵」のように浮かび上がらせて、「イデア界」
から逆照射した概念です。

功木は困った事が起きたり、落ち着いて物事を考えたい時にはこの「アジール界」に帰省すること
にしています。ここは功木が哲学を学んだ場所であり、思索を深めたり、構想を練ったりする言わ
ば一種の学問空間なのです。

普段、世俗の世界に生きていると日々重層化される「ペルソナ」に自分の本当の姿を見失ってしま
いがちですが、功木は「アジール界」に帰省する度に素の功木マキオに戻れる気がします。

今回帰省してみて不思議なことがあります。今までならば神社にお参りに行くとか本を読んで秘策
を練るとかして何かにすがろうと思ったのでしょうが、今は違います。

「やるべき事は全てやった」「虚心坦懐に来るべき未来を受け入れること」「どうあがいても結果
は同じ」

帰省した功木マキオの頭の中ではこの三つの文がこだまの様に響いています。

これには功木が好きなライプニッツの「この世界は予定調和的に創られている」というオプティミ
スティックな世界観の影響を受けている気がします。

いずれにせよ、本当に大切なものを失わない為にも感情に振り回されないようにメンタルをコント
ロールしていく事は重要です。

今でこそ、偉そうに書いていますが功木もIDEA_MENになる前は感情の嵐に巻き込まれて
辛い時代もありました。

そもそも「哲学」という学問にとって一番難しいのは感情のコントロールなのです。そのことに気
付いたからこそ功木はIDEA_MENになったのです。

皆さん、既にご存知かもしれませんが足利市の夏の看板行事である「花火大会」が今年で百回目を
向かえます。この百という数字に何か意味はあるのでしょうか?

功木はこの区切りの良い数字に何か特別な意味があるのではないかと思っています。この歴史にお
ける「夏決戦」と「百年目の花火大会」との暗合には深い意味があるのではないかと考えています
。その答えが花火と一緒に夏の夜空に浮かび上がれば良いですね。

Schluss fur heute!


 







2014/07/02 14:46:06|その他
緊急告知!!!「あじさいの花が咲きました」







2014/07/01 14:50:14|その他
May the Force be with you !
いやはや波乱の多かった6月が終わり、ついに「歴史対決」の7月を向かえました。

今まで夏に弱いとされていた、功木が何故7月を決戦の月に選んだのか?それは功木流の美学とい
うか、自然の傾向性への反逆と言うか、要するに「哲学への意志」の勝利を世に知らしめるには最
高の劇的効果を生むと考えたからです。

一般的には読書や芸術にいそしみやすい秋が良いという意見もあるかと思いますが、最高に困難な
状況を克服してこそ「勝利」の価値が増幅されると思ったのです。

「足利学校」というかつて栄華を極めた学問の牙城は、史跡というレッテルを貼られ「歴史」とい
う名の要塞と化しています。ただこの要塞には一つだけ弱点が存在します。その一点を攻めれば
「歴史」は前進します。

「マキオロジー」の研究が目指して来たのは、まさにこの「弱点」とは何なのか?を見つけ出すこ
とにあったのです。

何処かで聞いたような話だと思われた方もいるかもしれません。実はこれはG・ルーカスの「スタ
ーウォーズ」の第1作のクライマックスのデス・スター要塞攻撃の影響があリます。

あの映画で主人公のルーク・スカイウォーカーが最後に頼ったのはハイテクの照準器ではなくて、
「フォース」という言わば生命の直観力みたいなものでした。

「スターウォーズ」はもちろんフィクションですが、この部分は何か人間における決定的な真理を
語っているように思えます。だからこそ、あの映画は世界中で受け入れられたのではないでしょう
か。

ただ基本的に「スターウォーズ」は宇宙戦争の話で、功木の状況とは全く違います。功木の場合は
「想像界」が闘争の場なのです。

「想像界」から「歴史の要塞」へのピンポイント攻撃。つまり、過去の歴史において市民の「イメ
ージ化」を拒んできた「足利学校」の実相をイメージすること。

それを哲学的に表現すれば、「偶然と必然がクロスする一瞬を捉えて、現象界からイデア界へのゲ
ートウェイを切り開く」ということになります。

「足利学校」の実相が我々の主張するように「超越的価値」であるとするならば、既存の方法では
可視化できないことになります。何故ならば、価値は目に見えないからです。

こう書くと「足利学校を映像化したものは既にいくらでもあるではないか」という疑問が湧くでし
ょうが、功木に言わせれば全てそれらは「足利学校」をノエマ的に捉ええて映像化しているに過ぎ
ないのです。

「我々足利市民にとって真に重要なのは「足利学校」をノエシス的に捉えて表現した映像作品なの
です」


ただ本来、可視化できないものを映像化するというのだから当然、従来の概念的な枠組みでは不可
能なのです。

それには作品を創るだけでなくて、全く新しい価値評価の仕組みを作り出す必要があります。

インターネットの普及して以降、そのデメリットとして「情報カオス」の状態が続いています。真
に価値ある情報がくだらないまやかしの情報(ノイズ)によってその価値を減じられるという状況
が起きています。

我々が「足利学校再建」によって目指すのは、この「情報カオス」を解消して、「知識循環型」の
社会を創り、映像=情報と人間との新しい関係性を構築することなのです。

Schluss fur heute! and "May the Force be with you!"