哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2014/08/14 11:06:38|その他
お盆で功木家は大変なことに・・・
功木家の養女で、功木マキオの最高の相棒だったハムスターの功木ハム子がお盆でお客に
来ています。ただ親思いのハム子らしく功木家を盛り上げようとして冥界から友達をいっぱい
連れて来ちゃってこの有様。普段は静かな功木家も上へ下への大騒動に・・・。
昼間からお化けがいっぱい出ちゃって功木マキオは怖いやら、うれしいやらで何とも複雑な心
境ですな。







2014/08/13 14:43:01|その他
お盆はいかがですか?
皆さん、こんにちは功木です。今週はお盆休みに入っている方が多いかもしれませんが如何お過ご
しですか?もともとスロー・スターターである功木は子供の頃でも夏休みの宿題は8月の最後の週
辺りにならないと本気でやらなかった記憶があります。

その意味ではこれから本気の夏が始まるといって良いのではないでしょうか。夏のイベントがひと
段落して落ち着いて学問や創造的な仕事に取り組むには最高の季節を向かえていると言えるでしょ
う。8月の残りの後半は非常に密度の高い日々になるでしょう。

現在までの功木の夏は「マキオロジー」に限って言えば当初の予想をはるかに上回る成果を挙げて
います。素晴らしいイメージ創造は一種の奇跡なのだということを再確認できた夏であります。

功木の本来の研究分野である「哲学」は従来は言葉による概念を扱う学問なのですが、インターネ
ットの普及によるデジタル文書の時代に入ってきて大分様子が変わってきています。

何せ人工知能の研究やその応用形であるセマンティック・ウェブの時代になってきてコンピュータ
ーも概念を扱えるようになってきているのです。

このことは数千年の歴史を持つ「哲学」にとって大変な脅威となっています。人間の思考を一種の
計算としてみた場合に普通の人間ならばコンピューターに太刀打ちできないからです。

だとするならば「哲学」生き残る道は「哲学」という「概念」自体を自己変容させていくしかない
のではないでしょうか?

近年「哲学」という学問に見られる「大衆化」や「民主化」の現象は、このことを如実に表してい
るのではないでしょうか。

「学問」や「芸術」といった旧来のカテゴリーにこだわらず学際的で領域横断的な「カルチュラル
・カルチャー」の創造。これこそが「マキオロジー」の目指す方向性なのですが、やはりそれにも
大枠での理論的な求心性が必要なのです。

こんなことを書いている功木ですが、昔は何の縛りも無い自由な世界に住みたいと思っていました
。しかし今は違います。何らかの中心があってそこからくる秩序の感覚は重要だと思っています。

今思えば昔は権威主義的なものに感情的な反発をしていたという部分があった気がします。それに
は知識が不足していて合理的な受け入れができなかったのでしょう。

若いうちはハーバーマスのいうコミュニケーション的合理性が不足していて、ある一定の評価を得
ているものに対してさえ反発するものです。

今も昔も若い人たちには映画や音楽などの感情レベルに訴えかけるものがメッセージを伝えやすい
ですが、それだけで十分なわけではありません。

我々は人間の心の十全なる理解とともに真の文化「カルチュラル・カルチャー」の創造を目指して
います。

Schluss fur heute!







2014/08/11 4:15:24|その他
学校様 on the Moon
読者の皆さん、こんにちはIDEA_MENこと功木です。先週末から昨日にかけて台風が猛威を
振るいましたが、皆さんは如何でしたか? 何事も無かったことをお祈りしています。

さて今回アップした作品で「学校様トリロジー(三部作)」の主要部分は一応出揃いました。

一応というのは、今までアップしたのは最終バージョンではないので多少の手直しがされる可能性
があるのと、シリーズのテーマに資するかたちで幾つかの補助的な小品を加えたいと思っているか
らです。

最終的な全体像が明らかにされるのはもう少し先になりますが、とにかくこの夏にこのブログの中
で最初のバージョンを発表できたことが功木にはとても重要な意味を持っているのです。

それと作品の順番に関してですが、今回の「学校様on the Moon」は最後から2番目で
、前回の「宇宙のマキオロジー」が1番最後にきます。

基本的に従来の哲学の仕事はイメージの向こう側の「言葉」の世界であるのですが、革新的な哲学
を目指すマキオロジーにおいてはイメージそのものが哲学的な意味を持っているのです。

これは「イメージ」と「言葉」の相互浸透という学問における世界的な流れに棹差すものです。

そして今までブログの中で「対決」や「決戦」などと比ゆ的にではありますが多少物騒なことを書
いてきたのは実はこのことを指していたのです。

今までやってきたことをイメージとして定着できるか?作品として創出できるか?このことはマキ
オロジーのこの先を占う上でとても重要なのです。

確かに出来上がった作品を見てみると、自分が頭の中で考えていた時より先へ行けている部分があ
ります。しかしその逆でステレオタイプ化された表現になっているところもありそこは修正できた
らいいなあと思っています。

それでは。

Schluss fur heute!







2014/08/09 20:24:00|その他
宇宙のマキオロジー

Gakkou-sama goes to Space with Makiology !!!

 

Dedicated to Friedrich Wilhelm Nietzsche and Stanley Kubrick !!!

Not completed for ever !!!








2014/08/07 23:32:00|その他
これからはアリストテレス的実在論の時代やな
80年代の半ばにJ.J.ギブソンの「生態学的視覚論」の翻訳が出て日本でもアフォーダンス・
ブームが静かに巻き起こったわけですが、そこに功木は新しい時代への息吹を感じ取ったのです。

しかしその後、政治の上では栃木県への国会移転の話は立ち消えになり、道州制導入の話は遅々と
して進展しませんでした。

実際問題として、インターネットが現在のように普及していなかった当時では「足利学校再建」は
夢のまた夢の話でした。なので、規模の大きい前橋や高崎などの人たちと連帯を図ろうとしました
が、どうしても生まれ育った足利へのこだわりは捨て切れませんでした。

確かにこの問題に関して正面突破しようとすれば明らかに大変な困難を伴うことは分かっていまし
たが足利市民である功木にとって「足利学校再建」という大いなる物語はどうしても避けて通れな
い道だったのです。

足利学校を再建するにはどうすればよいのか?これは案外簡単な方法で可能なのです。

古代ギリシャのアリストテレスの考え方に由来するJ.J.ギブソンの「アフォーダンス」という
概念装置を受け入れて世界を「アフォーダンス」の想に観るだけで足利学校は再建します。

あまりにも簡単すぎて拍子抜けしてしまうかもしれませんが、もともと世界の見方は突き詰めれば
パルメニデス=プラトン的な観念論的二元論とヘラクレイトス=アリストテレス的な実在論的経験
論に大別されます。

なので、そのどちらに肩入れして観るかによって世界観は全く違ってきてしまうのです。

少なくても欧米の歴史を見る限り、その時代の支配的な世界観が歴史を決めてきたという事実があ
り、どの思想をとるかは歴史において非常に重要なファクターになっています。

翻って現在の「足利学校再建問題」に関してもこのことは当然、当てはまります。

ではアリストテレス的な考えとは如何なるものなのでしょうか?それは存在論的には客観世界の実
在性を認めて、人間の心に関しては機能主義的な見方をとっています。

分かりやすく言えばプラトン的な観念論に対して客観世界の存在を積極的に認めていこうという立
場です。

政治にたとえれば、中央集権的な考え方がプラトン派で多極分散型の共和制や連邦制的な考え方が
アリストテレス的な立場です。

ここまで説明すれば「足利学校再建」がアリストテレス的な実在論を選択すればその結果の社会に
とって当然求められてくるものであるということが分かって頂けると思います。

何故なら、多極分散型の社会においてはその社会の真理性の基準となる制度なり仕組みが必要にな
り、それこそが「市民的理性」に求められるべきだからです。「市民的理性」とはすなわち「学校
様」なのです。

「足利学校再建への道」とは我々市民がアリストテレス的実在論を「思想」もしくは「心の座標軸
」として選択した後に必然的に将来するある種の学問的状況のことなのです。

Schluss fur heute!