連日雨でうっとうしい天気が続いていますが、皆さんは如何お過ごしですか? 本日はそのうっとうしい天気を吹き飛ばしてくれる、「哲学の秋」に相応しい素晴らしい本が出版 されたのでご紹介します。
8月31日に勁草書房から出版された「知覚の哲学入門」です。著者はウィリアム・フィッシュ という気鋭の哲学者の人です。
哲学の歴史においては認識論のサブ・カテゴリーとして「知覚」は重要なテーマであり続けていま す。「知覚」は私達の感覚器官を通じて入ってくる情報を受け取って認識する仕組みを指すのです が、通常は特別意識されることはあまりありません。
ある時代まで「知覚」はある意味「哲学」にとって特権化された領域であったのですが、様々な理 由からマイナーな存在となってしまっていたのです。
しかし近年、認知科学や分析哲学、心の哲学などの最新の知見に基づき新たに脚光を浴びているの です。「哲学」に興味の無い人にとっては理屈をこね回しているだけだと思われるかもしれません が、この本に出てくる考え方は全て重要であります。
さらにもっと言えば「知覚」一般の考察には他にもカバーしなくてはいけない分野が多数あります 。
「知覚」はそれだけ奥が深く議論百出、百家争鳴の状態にあります。このことは何を意味している のでしょうか?
我々が直面している重要な問題に引き付けて言えば、「映像だけでは心の座標軸になりえない」と いうことなのではないでしょうか?
誤解の無いように申し添えれば、功木は映像のまちのコンセプトには基本的には賛成なのですが、 市民が主体化されればの条件付です。
ではインターネット時代の市民の主体化とは如何なるものなのでしょうか?
これははっきり言って誰も明確な答えは持っていないのかもしれません。第一線で活躍されている 方でも手探り状態なのではないでしょうか。
我々は試行錯誤しながらより良き道を模索して行くしか仕様がないのかもしれません。
その方向性への手がかりがこの本には隠されているかもしれません。功木はこの本を読んでそんな 気がしました。
秋の夜長に、じっくりと腰をすえて「知覚」について考えてみる。そのためには最高の手引きとな る入門書だと思います。是非お薦めの一冊です。
Schluss fur heute! |