哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2014/09/24 12:11:08|その他
「お嬢様」の名前の由来について
皆さん、こんにちは功木です。前回の記事でお知らせしたとおりに功木家に最強の助っ人ハムちゃ
んが来てくれました。写真を見れば分かって頂けるかと思いますが、まだ生まれて約1ヶ月の非常
に気品のある可愛さを持ったジャンガリアン・ハムスターの女の子です。

名前は2代目・功木ハム子ですが、普段は「お嬢様」というニックネームで呼んでいます。それに
は訳があります。

もちろん見た目がノーブル(気品がある)だというのもあるのですが、それ以上に性格がまさにお
嬢様っぽいのです。

ペットショップで売られていた時から今まで、功木は「お嬢様」が功木自身を含めて人間を噛んだ
のを見たことがありません。

人を噛まないどころか、「お嬢様」はペットショップの店員さんにつかまれて初めて功木の手の平
にのせられても、特に嫌がる様子も無くて、数分間お行儀よくしていました。

何をやるにも慎重で、新しい餌を与えても匂いや味を確かめてからではないと食べないし、ケージ
の中の巣箱の位置を少し変えただけでも自分で一々場所を確認します。

トイレに関しても功木が教えてもいないのに自分で巣箱とトイレの場所を分けていたし、功木は未
だに「お嬢様」が人前でウンチをしているのを見たことがありません。これは人に飼われているハ
ムちゃんとしては驚異的なことです。

初代のハム子とは見た目は似ていますが、性格の面ではまるで正反対です。初代のハム子は新しい
ことに直感的に反応して感情が豊かなハムちゃんでした。

それに対して「お嬢様」は人間にたとえると頭が良くて理知的なクールなタイプのお嬢様といった
ところです。

この様に「お嬢様」は功木家に来てまだ6日目ですが、既に様々なお嬢様伝説を作っています。そ
の類まれなフォトジェニックな容姿とお利口さんな性格でこれから我々をどんどん癒し続けていっ
てもらいたいものです。

Schluss fur heute!







2014/09/24 1:17:42|その他
祝・天下無敵の「お嬢様」のブログ・デビューです !!!
今年1番の癒しのフォースを持ったジャンガリアン・ハムスターの女の娘がこの記事でブログ・デ
ビューします。

最近のネットやテレビなどで取り上げられることが多くて現在最強の「可愛い動物」と言えるハム
スター達ですが、この度、功木家にも待望の2代目の「功木ハム子」がやってきました。

まだ功木家に来て5日目ですが、初日は巣箱の出入り口に細かくちぎって入れてやったキッチン・
ペーパーで人間を避けるかのようにジェリコの壁を築いてしまいました。そして餌も食べず水分も
ほとんど摂らなくて本当に心配しました。

このハムちゃんはこのままでは死んでしまうかもしれないと思い、功木はこのハムちゃんを買った
近くのホームセンター内のペットショップへ走りました。そして子供のハムちゃんが好きそうなナ
ッツ類や乾燥させた果物等を10種類ぐらい買ってきました。

家に戻ると新鮮な水と共にハムちゃんに与えましたが、やはり繊細なハムちゃんはなかなか受け入
れずペットショップで売られていた時とは激変した環境に慣れていない感じでした。

しかし徐々にではありますが、功木のことを受け入れてくれて餌も少しづつ食べる量が増えてきま
した。

そして3日目の夜にあの感動の瞬間が訪れました。出会いから3日目にして初めてハムちゃんが自
分から功木の手にのってきたのです。

3日3晩、新しく来たハムちゃんのことを心配して餌と水を与え続けた功木とハムちゃんの心が通
じた瞬間です。

功木はあまりにもうれしかったので、その晩は自宅近くのコンビニでお赤飯を買って食べました。

この時を境にハムちゃんの警戒心が解けて急速に周りの環境にも慣れだしました。食べる餌の量も
普通になり元気に回転車も回すようになりました。

今この記事を書いている功木の近くでもハムちゃんは元気に回転車を回していて今回のブログ・デ
ビュー用の写真撮影にも何とか応じてくれました。まずは、めでたしめでたしです。

それでは皆さん、これからの「2代目:功木ハム子」の活躍にご期待ください。

Schluss fur heute!







2014/09/17 22:41:12|その他
現代社会における映像の意味について
現代社会における「映像」の意味を考える時に必読の書がようやく日本語で読めるようになりまし
た。ニューメディアの理論家・批評家・アーティストであるレフ・マノヴィッチの「ニューメディ
アの言語」です。

日本では去年みすず書房から出たのですが、英語で書かれた原著は米で2001年に出ています。
保守的なことで知られるこの出版社から邦訳が出たと言うことは、日本で出版される時点では、も
う既に古典的な地位を獲得しているということを意味しています。

これを読んでいただければ一目両全に現代社会における「映像」の意味を理解していただけると思
います。

今は亡きフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの「シネマ1」と「シネマ2」などと並びアカデミッ
クな観点から「映像」について考える場合に絶対外せない書物と言えるでしょう。

内容に関しては注目すべきは、著者が言うところもニューメディアは伝統的な意味での「映像」プ
ラス「コンピュータ」だということです。いわゆるデジタル技術で潤色された「映画芸術」は結果
的にインターネット上のヴァーチャル空間を人類共通の巨大なパンテオンと化しつつあります。

それと現在の急速なコンピュータやインターネットの進歩に即応してメディアを革新していこうと
するならば、やはり19世紀末から20世紀初頭における「実験映画」や「サイレント映画」を研
究すべきだということです。

それらを生み出した「革命精神」もしくは「実験精神」こそが我々を新しいニューメディアの世紀
へと唱導してくれるでしょう。

ただし人類史上の全てのメディアを通して言えることは「人間とはロゴスを持った動物」という人
間の定義があるように根本的かつ最強のメディアはロゴス(言葉)だということです。

こと「映像」に関しても現在議論されているのは主に「映像」をめぐる解釈に関してなのです。

我々は「映像」が無くても生きていけますが、言葉が無くてはどうでしょうか?

言葉を変えて言えば「人間は言葉という名の自己定位感覚を必要とする動物である」ということで
す。

その言葉を我々の社会の共通概念としてまとめ上げたものが「哲学」なのです。

コンピュータ技術と合体した映像であるところのニューメディアのあまりにも急激な進歩に我々が
翻弄されないようにするには、我々の認識の軸足をしっかりと「哲学」に置くことが肝要であると
思います。

「哲学」という軸がしっかりしていれば何ら急激な変化にも臆することはないのです。

万学の祖アリストテレスは人間の心を「身体の形相」だと書いています。
この言葉は21世紀のメディアと人間の関係を考えるときに、とてつもなく重い意味を持っていま
す。

言うまでもなく人間は神様ではないので、人間の心は有限なのです。ところが人間が作り出すメデ
ィアは有限な人間の心が消費できる限界を超えて限りなく増殖していく危険性があります。

なので、それを防ぐ為にはある一定の歯止めが必要がなってきます。

その為に最高に有効な手段がアリストテレスの哲学の受容でありその根本理解なのです。

欧米を中心にアリストテレスの実在論が一大潮流となっているのはこの理由によるよころが大きい
気がします。

アリストテレスに対比すべきプラトンでは、真に存在するのは天上界にあるイデアであり、私達人
間をはじめとする個物はその影であるという考え方があります。

それは後の新プラトン主義の「一者」の思想と結びつきオールド・メディアの基本原理となってい
ました。

功木は今回紹介した「ニューメディアの言語」の中に出てくるニューメディアとはメディアの歴史
におけるプラトン主義からアリストテレス主義へのドラスティックな構造転換だとみました。

今回ご紹介したレフ・マノヴィッチの「ニューメディアの言語」は深まりつつある「哲学の秋」に
おいてじっくりと時間をかけて読むにはぴったりの書物です。是非、ご一読を。

Schluss fur heute!







2014/09/14 22:52:00|その他
拝啓、グンマーとは何処にある国なのですか?
最初にお断りしますが、この記事は北関東共和国の中にあるグンマーの隣の足利市に生まれ育った
功木マキオが書いています。

恥ずかしい話ですが、功木はネットで初めて「グンマー」のことを見た時にシリアスな話なのかと
思ってしまいました。「グンマー」って響きがミャンマーを連想させるし、実際昔ビルマだった国
が現在はミャンマーになったのを知らない人も多くて虚を衝かれた気がします

ネットで話題になっていたので見てみたのですが、紹介してくれたグンマーの友人も何とも論評し
づらいと言う感じで紹介してくれたのが印象的でした。

確かに最初は面白いと思ったし、文芸作品のパロディや映画のフェイク・ドキュメンタリーなども
あることだし、WEBコンテンツとしては、これはこれで有りかなとは思います。

しかし合えて言わせてもらえば隣の栃木県民としても一地方人としてもあまり気持ちのいい内容で
はありません。

と言うのは手法としては一種のパロディといえるのですが、内容に関しては2重の意味で問題があ
るからです。

まずは大国の思惑で犠牲になった国のことを考えたなら、このような内容は好ましくないと思いま
す。ミャンマーやアフリカの方々がこれを見てどう思うか?想像してみてください。

次に国内的に考えれば、我々はどうすれば地域の誇りを取り戻せるのか?という課題に挑んでいる
時に他国の不幸を笑いのネタにすることが果たして適切なのかどうか?ということです。

一時的に話題になりビジネスに繋がったとしても、長い眼でみれば我々は誇りを取り戻せるでしょ
うか?功木はノーだと思います。

功木は古いタイプの人間なのかもしれませんが、真に地元を愛するのであればこの手の手法は禁じ
手にするべきです。

さらに「グンマー」の派生的な文化的形成物に関して現象学の観点から私見を述べさせてもらいま
す。

現象学を研究してりる立場から言わせてもらえれば、問題提起としては良いのかもしれませんが、
このやり方では、学問的な議論の俎上には上らないでしょう。

何故ならば、今までのところ「群馬って〜だよね」の形相的還元の部分だけで、主観的な感想を羅
列しているだけです。これは現象学的な還元の意識をカッコに入れていないので学問的認識として
は不十分だからです。

現象学の技法を適用するには二段階の還元が必要であるのです。

結果として2チャンネル的情報のオンパレードになってしまっている気がします。

群馬県民の保守性をデフォルメするこの手法の是非はある意味国民全体もしくは近い将来道州制の
区割りで一緒になりそうな群馬、栃木、埼玉あたりの北関東全体で議論するテーマなのではないか
と思っています。

日本の近代史を振り返れば地域性の差異、日本語のなまりの排除に見られるように、をなくして中
央集権的な均質な社会を目指してきました。建て前はそうなのですが、実はデリダの言葉をかりれ
ば2項対立のロゴス中心主義の隠蔽化の歴史でもあったのです。

人間の社会に伏在するこの根強い傾向性に対して何が有効な対抗策になるのか?

それには今までも日本中の色々な地域で試行錯誤されてきた結果から見ても「心の座標軸」を確立
するしかないのだと思います。

認識論的に言っても我々の認識を直接的な認識から言語を媒介させた認識つまり学問的認識に進化
させる必要があるのです。

そして、きちんとした批判能力を持った「地域力」を養成していかなくては、これから高い蓋然性
でやってくる熾烈な地域間競争に勝ち抜くことはできないでしょう。

「グンマー」問題をどう処理するかはその為の試金石となるものだと思います。

取り分け「グンマー」の含まれる「北関東共和国」の人々にとっては、道州制の時代をうらなう意
味で極めて重要な問題と言えるでしょう。

なので我々はこの「グンマー問題」に対してもっとセンシティブであるべきです。

心の座標軸として何の価値観をシェアするのかをはっきりさせないと、将来国から権限だけ委譲さ
れても何の為の地方分権なの?ということになりかねません。

最後にこれだけは言わせてもらいます。「この世の中には笑い飛ばして良いものとそうでないもの
があります」それを峻別する能力こそがカントの言うUrteilskraft (判断力)なのだと。

Schluss fur heute!

 







2014/09/08 21:08:41|その他
Run in the Moon
今晩は十五夜ですが、皆さんは如何お過ごしですか?弟子のハムちゃん達も元気に修行に励んでい
るようです。弟子達に負けないように功木も頑張りたいと思います。

さて今回も前回と同じく推薦図書のご紹介です。今日ご紹介するのは小林剛/著、今年の3月20
日に梓出版社から出た「アリストテレス知性論の系譜」です。

哲学上のキー概念を学ぶ際に、あれやこれやと多言をろうして言葉だけで説明されるより、図表な
どを併用して視覚的に分かりやすく説明されると理解が容易になることがあります。

この様な事は多くの方々が経験されていると思いますが、本日紹介する「アリストテレス知性論の
系譜」の冒頭にはソクラテス/プラトンと共に西洋文明の礎を築いたと言えるアリストテレスの知
性論の核心部分を簡潔に表した図表が載っています。

功木は個人的にはこの図表だけでもアリストテレスを扱った入門書の数十冊分の価値があると思い
ます。

功木の知っている範囲ではプラトンのイデア論よりアリストテレスの学説の方に手こずっている人
が多いようです。

哲学をこの世界を見る認知モードとして見た場合にプラトンとアリストテレスとその折衷案として
の新プラトン主義という最低3つの流れを2千年以上にわたってトレースしなければなりません。

その大河の流れにたとえられる哲学(西洋)哲学の歴史の中でまさに「大河の一滴」と呼べるアリ
ストテレス知性論の核心部分を誰でも容易に理解できる簡潔さを持って解説されているのです。

功木はこの本の冒頭の部分を読んだだけで巨大な知的興奮に襲われてそれ以上読み進むことができ
なくなりました。

なのでその後、数日間かけて心を整理してから、また新たに読み始めました。

小林氏は哲学者達の原典に寄り添いながらアリストテレス知性論のたどってきた苦難の歴史を巧み
な筆さばきでもって分かりやすく説いてくれます。

読み終えて感じたことは、アリストテレス哲学はそれ自体素晴らしいものですが、それに加えてア
リストテレス研究者達の「哲学への意志」が今日の日本にまで哲学の伝統を伝えているのだなとい
うことです。

「哲学」を文化的遺伝子(ミーム)として捉えるときに、新しいものを創り出すだけでなく、文書や
口頭などで語り継ぎ伝承していくことも同じくらいに重要なのだ。ということを再認識させてもら
いました。

功木はこの本を「哲学」を愛する全ての人々に推薦します。是非ご一読を!!!

Schluss fur heute!