哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2014/10/20 11:37:07|その他
ハムスター・ムーブメント始動
早いもので今年も残りあと70日余りとなりました。最近はネットをはじめ色々なところで来年の
カレンダーを目にしますが、その中で一際功木の目に止まるのが「ハムスター」の写真を使ったも
のです。

ハムちゃん達の愛らしい姿とカレンダーの種類の多さからを見るとつくづく今年はハムスターの年
だったなあという感慨を抱きます。

日本中を悶絶させた「ハムけつ」や、あまりのハムちゃん人気につけこんだ「ハムスター狩り」な
ど実にな様々な話題を振りまいてくれました。

それと直接的はハムスターの名前は使わなくても明らかにハムスターをイメージさせる「隠れ・
ハムスター」現象も見逃すことは出来ません。

功木は、それら有形無形のハムスターに関する文化的な現象を「ハムスター・カルチャー」と呼び
今年を「ハムスター・カルチャー元年」としたいと思います。

そして来年以降も、ハムちゃん達の「ハムスター・カルチャー」を強力にバックアップして、さら
には「ハムスター・ムーブメント」として人類の社会・文化的な発展に寄与したいと思います。

それと同時に、ハムスター類の人間界における社会的な地位の向上や双方にとって重要な自然環境
保護にも力を入れたいと思っています。

「ハムスター・ムーブメント」とは先述の「ハムスター・カルチャー」を哲学・思想的な面で展開
させた運動の呼称であります。

そしてそれは、人類にとってもハムスター類にとっても双方にとって史上初になる試みになるでし
ょう。

奇しくも今年は足利の花火大会が100回目を迎えた記念すべき年でもあったわけですが、100
0年先までの射程で考えた場合それは同時に「ハムスター・ムーブメント」開始の号砲でもあった
のです。

それにしても今年のハムちゃん達の親孝行ぶりには、功木もほとほと頭が下がります。マキオロジ
ーの「天下分け目の関ヶ原」と位置付けた夏の戦いを「ハムスター狩り」という文字どうり体を張
った活躍で、歴史的な大勝利へと結び付けてくれました。

そして結果的にですが、大論争を巻き起こして人々の関心をハムスタ一類へと向けさせてくれまし
た。

功木の熱い期待にものの見事に答えてくれたハムちゃん達。最高の流れを作って功木にバトンを渡
してくれたのです。

今度は功木がハムちゃん達に恩返しをする番ではないかと思っています。

元々実験動物であるハムちゃん達は故郷を持たない動物であります。これほどまでに人類の発展に
貢献してくれているのだから、どこかにハムちゃん達の保護地域を作ってあげれば良いと思います


野生のハムスターはどんどん数が減ってきているそうなので、これは一日も早く行動を起こさなく
てはいけないと思います。

それと同時に重要なのは今でも続いて来年まで持ち越しそうな「ハムスター狩り」論争に決着を付
けることです。「何故、金魚釣りや魚釣りは良くて、ハムスター狩りはダメなのか?」ということ
に関して誰でも納得できる合理的な理由を提示することです。

これには、ハムスターは人間と同じ哺乳類だからとか、唯単に可愛いからとか好きだからとかいう
主観的かつ価値観的な理由ではなくて進化心理学上の決定的な理由が存在します。

これを十全に理解してもらうには、ハムちゃん達の人類の文化史上における重要性を理解して頂か
なくてはなりません。そして、それらは我々の世界観や時代認識、さらにメディア観にまで決定的
に新しいパラダイムをもたらすでしょう。

功木の知っているハムスターを飼っている友人達(ハム友)の間では、ハムちゃん達を「ハム様」
と敬称を付けて呼ぶ人が多いようです。

確かにハムスターという動物は人にそう呼ばさせる何かを持っている気がします。

そこで今日は最後に、ハムちゃん達にこの言葉を捧げたいと思います。

「神様、仏様、ハム様」と・・・

Schluss fur heute!

 

 







2014/10/12 13:27:05|その他
ガチで地方分権を考えたい人たちへ
段々と秋が深まってきましたが、皆さんは如何お過ごしですか?
秋の夜長には読書や哲学的な思索にふけるには持って来いの季節です。エンジン全開で行きましょ
う。

我々は近年の経済や文化における急速なグローバル化や日本国内の人口減少を顧慮して我々の住ん
でいる地域のRE=DESIGN(リ・デザイン)しなければならない事態に直面しています。

これはアリストテレス倫理学における配分的正義の観点からも論を待たない状況にあると思います


もちろん先日の御嶽山の噴火災害のような自然災害に対する備えも重要ですが、中長期的な観点か
ら見れば「道州制」や「連邦制」などの地方の制度そのものを作り変える議論は国家の最重要課題
なのではないのでしょうか。

基本的に誤解があると思われるのは、勝義の意味でこの問題は地方に突きつけられた問題であると
いうことです。地方の人々の知恵や判断力、その他の総合的な地域力が問われているのです。

中央発のメディアの情報を見る限り、何かこの問題が国会議員の先生方の専権事項のように扱われ
ていて、強い違和感を感じています。

この問題は日本に真の意味での「デモクラシー(民主主義)」が根付くかどうかの試金石となるも
のであります。

つまり、主役は国民なのです。何故このシンプルなことが世間一般の基本認識にならないのかでし
ょうか。

歴史的にはA.ゲルナーのナショナリズム論にある政治と文化の乖離の視点も重要ですが、現代の日
本においては影響力のある文化人や著名人の責任が大きいのではないかと思います。

地域においては自分達の将来に関する地方分権に関する議論を地に足をつけてやらなければならな
いのに何か突発的なことが起きると、そちらの方に関心がぶれてしまうのが歯がゆいです。

でも、東京オリンピックも控えて経済も明るい兆しが見えてきた今だからこそ、本腰を入れて「
地方分権」の問題に取り組むべきです。

地方分権に関して少なからず誤解があるように思われるのは、地方分権が永田町における地方制度
に関する議論であると思われている点です。

確かに制度上の枠組みに関する議論も重要ですが、実質的な面から見れば本丸はむしろ地方におけ
るボトムアップ的な地域内融和のシステムの構築にあると思います。

何故それが重要なのか言えば、言うまでも無く地方分権の目的は地域の自立にあります。しかしそ
れには結果として相互不信や都市間対立を生むという二律背反が内蔵されているからです。

この事は東アジアにおける国家間レベルでの深刻な対立、具体的に日本、中国、韓国、及び北朝
鮮などですが、を見れば分かるように、国際政治及び社会心理学上の厳然たる事実なのです。

我々はその事実を受け入れて、マキャベリ的な性悪説の視点でこの問題を考えなければならないの
だと思います。

そうしない限り、我々は地方分権に関して何ら生産的な議論を始められないのではないかと思いま
す。

地方分権とは我々の認識においては、先にあげたA.ゲルナーの国家のナショナリズムに関する定義
「行政の区分と文化の単位の一致」がそのまま地方分権においても当てはまるのではないかと思っ
ています。

つまり地方分権とは制度と文化、形式と実質、政治と生において両方同時に考えて行かなくてはな
らないのです。

そこで重要になってくるのは我々の社会の動的な面と静的な面とを同時に捉える視点、つまり「
構造」ですが、それによって社会の深層構造の解明をすることです。

その意味で、フランスの構造主義哲学者のクロード・レヴィ=ストロースの「構造人類学」、「親
族の基本構造」「野生の思考」「神話論理」などは地方分権を考える上で絶対に欠かすことのでき
ない必読文献であると言えるでしょう。

そもそも、この今は亡き知の巨人の思想を理解しなくては地方分権の意義そのものが理解不能なの
であります。

我々は永田町の内部の問題と各々の地域の問題とを混同してはならないのであって、それらは相互
に没交渉的なのです。この点はスピノザの政治学を参照して頂きたいのですが、それらの混同こそ
が、地方での分権論議を妨げる最大の要因となっているのです。

つまり地方においては地方分権とは「文化の自己決定権」の問題であってそれ以上でも以下でもな
いのです。それは言葉を換えれば失われた地方の「誇り」の回復の問題であるのです。

「地方分権」という問題を考える上で大切なことは問題そのものの重層的な性格を考慮する事です
。それは多分に「認識論」や「知識論」といった純粋に哲学上の問題を含んでいるのです。

我々は積年における「映像メディア」や「哲学・思想」一般に関する研究の成果を踏まえて「地方
分権」に関する新たなる思想的な枠組みを提示しなければならないと考えています。

「足利学校」のあるまちに生まれ育った功木としては、その問題にコミットすることが足利市民と
しての「CITIZEN DREAM」の自己実現なのです。

Schluss fur heute!







2014/10/10 22:15:01|その他
ハイパーリアルな現実を生きろ、ハム達よ!
(10月1日の記事の続きです)

レモングラスの香りのアロマオイルを引きこもっている巣箱の天井に塗られた「お嬢様」でしたが
、功木が期待していた効果はすぐにはあまり変化が見られませんでした。

しかし翌朝になってケージの上部の餌場になっている展望デッキを覗いてみると、何と水分補給を
兼ねて出してあった2枚分のキャベツの葉がほとんど食べられているではないですか。

それまでは出されたキャベツの葉の縁をわずか数ミリしか食べなかった「お嬢様」が一夜にしてキ
ャベツ2枚をほとんど食べてしまうとは。

あまりのアロマオイル作戦の劇的な効果に功木は思わず「ヤッツター」と快哉を叫んでしまいまし
た。

その日を境に「お嬢様」はまるで性格が変わったように功木になつき始めて、それに伴い餌の食べ
る量もこちらが心配するくらい多くなりました。

今にして考えれば「お嬢様」は初めは人見知りしていたようです。現在では人間を全く怖がらなく
なり、功木の手の平の上で餌を食べている完全な「手乗りハムスター」になっています。

ただ慎重な性格は相変わらずで、それまで食べたことのない餌を与えると非常に時間をかけて吟味
しています。

そんなこんなで最近はすっかり功木家の一員になっている「お嬢様」なのですが、そんな姿を見て
いるとやはり功木はハムスター取り分けジャンガリアンのいる生活は素晴らしいなと実感していま
す。

ハムスターの「癒しのフォース」に対する抗いがたい想い。その小さな生き物を眼前にした時の胸
が「キュン」とした感じ。人はそれを「ハム萌え」というかもしれませんが、功木はそれを神から
の「啓示」として捉えています。

フランスの思想家ジャン・ボードリヤールの用語にハイパーリアル(超現実)というのがあります
が、ハムちゃん達は21世紀のハイパーリアル界のスーパースターになる素質十分であると言えま
す。

元々ハムスターはその繁殖のし易さから実験動物として輸入されて、やがてその愛くるしさからペ
ットとして人気が出たのですが、これからはその二つの特徴を生かしてさらに新しい可能性の段階
へ進んできているのです。

それは人類とハムスター類両方にとって福音となることを願ってやみません。

それでは。Schluss fur heute!


 







2014/10/01 23:17:35|その他
親子断絶の危機
29日のブログ記事で書いたように一度はおずおずとはでありますが、自分の意志から功木の手の
平にのってくれた「お嬢様」ではありましたが、その後はまた新たな問題が発生しました。
左側の写真にあるように巣箱の中からに大量の紙を詰めてしまい、功木のことを完全シャット・
アウトしてしまったのです。

ハムちゃんの活動する夜の時間帯になっても餌を食べにたまに出てくるだけで、功木のことは足音
を聞いただけで逃げるように巣箱に入ってしまいます。

それだけではなく、よく観察してみると功木が近くにいる時とそうでない時とでは明らかに「お嬢
様」の動きに違いがあるのが分かりました。功木がそばによると急に動きがギスギスした感じにな
り、そわそわし出すのです。

「このハムちゃんは自分のことを嫌っている」一方的な思いを抱いて功木は「お嬢様」を自分の家
に招き入れたので、この厳しい現実を受け入れることはとても辛いことでした。

「お嬢様」に気に入ってもらえるように、あれこれ試してみましたが全て効果は無くて絶望の淵を
さ迷っていました。

「性格が合わないのだから仕様が無いさ」とか「これが人性というものさ」とか功木は自分で自分
を納得させようとしました。

悲嘆にくれながら自宅の玄関を出ると、何やら心地よい甘味な香りが漂っているのに気が付きまし
た。今の季節、読者の皆さんにもお馴染みのキンモクセイの香りです。

功木の自宅の庭にあるキンモクセイからその香りは発せられていたのです。

その香りに癒されながら功木は「お嬢様にもこの香りを嗅がせたらいい気持ちになるだろうなあ」
と単純にそう思いました。

その後、昔功木が使っていたアロマオイルのことを思い出し、これは結構行けるかもと思いました


そして、功木は最後の一縷の望みを賭けてアロマ作戦に打って出ることにしました。

アロマテラピーの本で調べてハムちゃんの好きそうな「レモングラス」のアロマオイルを買うこと
にしました。

アマゾンから届いたレモングラスのアロマオイルを、同梱されていたスポイトで巣箱の屋根裏に少
極少たらしました。

それだけでもアロマオイルは十分匂います。

ある意味、頑なに巣箱にろう城する「お嬢様」の態度を逆手に取った作戦であります。

さてこの後どうなるでしょうか?「お嬢様」こと二代目・功木ハム子の運命や如何に!!!

次回へ続く。
 







2014/09/29 15:37:56|その他
足利図書館の帰りに考えたこと
こんにちは功木です。先日、足利図書館へ行った帰りに、アピタの中のくまざわ書店に寄って書架
をのぞいたら、ちくま学芸文庫からパース、ジェイムズと並んでアメリカを代表するプラグマティ
ズムの哲学者ジョン・デューイの「公衆とその諸問題」が入っていました。

プラグマティズムの哲学は米国のオバマ大統領にも深甚なる影響を与えたと言われていて、そのせ
いか近年、非常に勢いがぶり返しています。

「公衆とその諸問題」はネット社会において市民が政治参加する上で必ず一度は読んでおくべき政
治哲学の基本文献の一つと言われています。

最近の日本における哲学・思想系の出版事情を見ると一目瞭然に分かることなのですが、色々な分
野の人たちが其々の優位性を主張し合って島宇宙化してしまっている傾向にあります。

元々パイの数が少ない世界なのですから、それぞれの皆さんが横の連携をとって産業としての規模
を拡大することを目指すべき時期にきているのではと思います。

近年の米英国における分析哲学系の隆盛とプラグマティズムの復活はやはりコンピュータ社会の進
展と密接な関係があると思います。

それはコンピュータ的な思考のアルゴリズムに同化するのか距離をとって道具として使いこなすの
か、つまり内側に入るか外側から捉えるかのアプローチの仕方の違いなのだと思います。

しかし、どちらの陣営にしても究極的には伝統的な哲学に対する「メタ哲学」を希求しているのだ
と思います。

「メタ哲学」とは「哲学とは何か?」に関する哲学といえますが、それはある意味で現代における
形而上学の復活と言えます。

西洋で言えばプラトンやアリストテレスの時代の哲学を、現代世界に当時と比肩するくらいのイン
パクトをもって復活させるということです。

「哲学」という学問の相対的な地位が低下している現代で果たしてこんなことが可能なのでしょう
か?

「哲学」とは色々な意味で可能性に挑戦することなのですが、我々のとったアプローチは上記の2
つの陣営とは違った第三のアプローチです。

文化人類学、宗教学や神話学などにあるように我々は現在の近代国家が出来るよりもはるか昔に、
自然界における野生の動物達に超越化機能を求めていました。

いわゆるトーテミズムですが、我々はそれはコンピュータやインターネットにおいてもその心性は
て形を変えて残っていると考えています。それは人間の本質であるからです。

我々はその事を確認する為にある一つの小動物に着目して研究を重ねてきました。それがこのブロ
グにもよく登場するジャンガリアン・ハムスターです。

功木がハムスターを飼い始めたのは本当に偶然でしたが、途中からハムスターという小動物が持っ
ている大いなる可能性に気付きました。

我々は、ハムスターという動物は哲学ともコンピュータ社会とも非常に親和性の高い動物であると
考えています。

確かにハムスターはペットとしても可愛いのですが、それ以上に大いなる可能性を持った「生ける
メディウム(媒体)」なのです。

もし、この先「哲学」においてBreakthroughが起きるとすれば、それは「ハムスター
の哲学」から起きる可能性が高いのではないかと我々は考えています。

それでは Schluss fur heute!