皆さん、今晩は。功木です。今日はとても寒い一日でしたね。うちのハム様たちにもヒーターを入 れてあげました。我々人間達も暖かくして寒さを乗り切りましょう。
今日は少し堅い話です。
以前に書いたように、「地方分権とは地方の文化的ナショナリズムである」という認識は極めて重 要であると思います。近々国政レベルの選挙がありそうなので、その際にも地方の最重要課題は地 方分権であるという優先順位を堅持すべきです。
我々はジャーナリスティックな話題に振り回されずに、じっくり腰を据えて物事の原理的な追究に 当たることが大切なのです。
地方の強みは実はこの点にあると思います。
ただ2点だけ注意してもらいたいのは、結果を出せるかどうかは自己責任であるという事と中途半 端な妥協は命取りであるという事です。
世界中のあらゆる研究者たちはこの両立困難な二つの命題に苦しめられています。
それは現在の地方分権をめぐる状況にも同じことが言える気がします。地方の側に現状を打開する 「知恵」が求められているのです。
地方の側の人間として私、功木マキオはその「知恵」の追究に勤しんできました。その結果、確か にある壁に突き当たりました。それは個人としての能力の限界ではなくて社会的人間としての限界 なのです。
本来なら研究者としての功木はその時点で終わっていたかもしれません。恐らく当ての無いままで ロゴスの森の中を彷徨っていたでしょう。
しかし運命の神様は功木を見捨てなかったのです。それはまるで神様からの恩寵のようでした。
たまたま行った太田のイオンの中のペットショップで功木は初代ハム子と出会ったのです。
これは色々な意味でカルチャーショックでしたが、取り分け功木の哲学研究の歴史において、いく ら強調してもし過ぎることは無いほどハム子は重要な貢献をしています。
まさに功木マキオの学問的な危機を救ったハム様と言ってよいでしょう。
そして、その流れは数年を経て2代目である現在のオジョーに引き継がれています。
ハム様という動物は本当に素晴らしい動物です。近年世界の人々がそれに気付き始めています。 我々人類はハム様たちを単なる実験動物やペットとしてではなくて「他者」として発見するべき 時に来ているのではないでしょうか。
そして、その暁には「地方分権」という一種の疑似問題に対する解が得られるでしょう。
どんなに素晴らしい理論であっても、実効性がなくては単なる机上の空論であるのです。
我々は座して死を待つべきなのでしょうか?
Schluss Fur Heute! |