本日(6日)は朝からとても寒かったのでハム様用のヒーターを自宅近くのホームセンターで買っ てきました。今までは衣服に貼るカイロを水槽の底に貼り付けてやっていたのですが、ここ数日の 寒さでそれでは間に合わなくなってきたからです。
電球タイプのヒーターを入れてもらった「シロりん」はとても喜んで巣箱から出てきて元気に動き 回っています。でも何か忘れていると思っていたら、人間用のカイロを買うのを忘れていていまし た。仕方ないのでハム様に入れてやったヒーターの近くによって一緒にあたっています。
という訳でここから今日の本題に入ります。
確かに今まで地方には「地方の壁」が存在しました。それは関係論的な一種の観念であったかもし れませんが厳然と存在したのです。しかしだからと言って我々は絶望するわけにはいかないのです 。
かつてドイツにあったベルリンの壁がそうであったようにイデオロギーによって作られていたもの は体制が変わればあえなく崩壊してしまうものです。我々が直面してしている「地方」という概念 も同じようなものであると思います。
地方分権改革が進行して「道州制」もしくは「連邦制」が導入されれば、我々を苦しめてきた「地 方の壁」は当然無くなります。
しかし、それで全てがばら色の未来が待っている訳ではないのです。それまで地方を保護してくれ ていた繭は無くなり、過酷なグローバル化や地域間競争の嵐に晒されるようになるのです。
自由競争の結果、下手をすれば現在より悪くなる可能性だってあり得るのです。
そうならない為には、利害得失を超えた地域力の強化が必要であり、地域間の合意形成のシステム を作らなくてはならないと思います。これは何も国の動きを待たなくても市民や民衆の力とIT力 を組み合わせれば十分実現可能であると思われます。
これらは一般的には「メディア公共圏」と呼ばれていますが、順番から言えば国の制度改革よりこ ちらの方が先に形成されるべきであるのです。
そうすれば21世紀型のメディアのプラットホームとして機能して、地方分権時代の価値秩序を形 成するのが容易になります。
我々市民が主体になるには我々自身の情報を自分達で発信しするのが一番効果的ですが、その情報 に如何にして付加価値を付けていくかが課題です。
「メディア公共圏」はこの観点からも重要です。と言うのはそこでは地域の問題や情報が一般的な 他者の視点から吟味されて普遍の情報としてのステイタスを獲得するに至るからです。
もちろん、そうなる為には様々な概念や技法を学ぶことが前提ですが、理論上は全ての人々が自分 なりの「主体化」を果たすことが可能なのです。
「メディア公共圏」は21世紀のメディアがどうあるべきなのかを追究してスペキュレートされる べきものであり、「メディア」というイデアの具現化された形なのです。
なので「地方分権」とはある意味この「メディア公共圏」を如何にして形成するか?のせめぎ合い の歴史であると言えるでしょう。
我々は今まで「地方」と呼ばれてきたものの先にあるもの対して思いを抱かなくてはならないので す。
今度の選挙も自民党が大勝しそうですが、フィヒテの言葉を借りて功木流に表現すれば「地方分権 とはネット上の日々の人民投票」なのです。
それでは、See You Next Article!
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