哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2014/12/12 22:08:02|その他
日本のみなさーん、おばんでーす

「 いやあ、ハムスターって本当にかわいいものですね!

それでは、また来週お目にかかります。」


Hamuo Mizuno From Ashikaga City Japan

 







2014/12/11 23:51:00|その他
夢の地産地消めざして
師走も中旬を迎えて何となく慌ただしくなってきましたが、皆さんは如何お過ごしですか?
功木は夕方うたた寝していたら、ラジオ流れてきたヨハン・シュトラウスのウィンナワルツの調べ
に目を覚まされてしまいました。元旦のニューイヤーコンサートで最後に演るやつです。

その時は一瞬、もう来年の元旦になってしまったの?とびっくりしました。その後時計のカレンダ
ーで日付を確認したら11日だったので安心しました。

じっくりと焦らずに、やるべきことをやりましょう。肝に銘じた次第であります。さて本題です。

既にブログの記事の中でも書いてきたように、道州制や連邦制などの地方分権改革がある種の既定
路線であるならば、地方は如何にすれば改革の果実を最大限に味わうことが出来るのか?

これは現在において地方が直面する最大の課題であり、かつ最優先で取り組むべき問題であると思
います。

中央から伝え流れてくる分権に関する論議は、制度を変えれば人が変わるといううある種のオプテ
ィミズム(楽観主義)に彩られていますが実際のところはどうでしょうか?

我々は地方分権改革というのは人間の自己実現の欲求に根ざすものでなくてはならないと考えてい
ます。

今までの制度においては建前は全て国民は自由で平等だということをうたっているにも関わらず、
実際はどうでしょうか?

住んでいる場所による経済や文化、教育などの格差は看過できる範囲をとうに超えているのではな
いしょうか?

人が生まれ育った地域で普通に夢を持ってそれを実現できる社会。夢の地産地消。地方分権とは、
この当たり前の社会の実現でなくてはならないのです。

その為には我々は分権に関する論点を「ポスト分権」にもっていかなくてはならないのです。

何故ならば人間の心を規定しているのは政治的制度より文化であるというアカデミックな分野に
おける実証的な研究成果があるからです。

我々の研究は当初からこの文化に定位したものであり、文化的な枠組みの改変を目指しておりまし
た。

このブログの中でも今年をモニュメンタル・イヤーと名付けたのも実は今年を事実上の地方分権の
スタートの年と位置付けるねらいがあったのです。

かつてスピノザは人間を動かす力は自己保存の欲求であるとし、それをコナトゥスと呼びましたが
、功木は夢の自己実現する力のことをコナトゥスと呼びたいと思います。

人間とは本らい平等に夢をみて、それを実現させていく動物なのです。

地方分権とは我々の夢が自己実現されていく過程であり、それに向けての運動なのです。

それでは。See You Next Article!







2014/12/10 21:23:14|その他
朝から感動
今日(10日)の朝の出来事です。いつものように他のハム様たちのお世話を終えてオジョーの番
になった時です。毎朝の恒例になっていて一種の儀式となっているのにオジョーの抱っこタイムと
いうのがをあります。功木の手の上で抱っこされながらオジョーが「おネンネ」するのです。

いつものようにオジョーが功木の手の上で「おネンネ」していると、急にもそもそして身体をよじ
らせ始めました。それまで、まったりとくつろいでいたのに様子が急変したのです。

何だろうと思いながら功木はオジョーを展望デッキの上に降ろしてあげました。するとオジョーは
降ろされた場所で10秒ぐらいじっとした後にデッキ上を移動し始めました。

それまでオジョーがいた場所に残されていたモノを見た瞬間、功木の全身には激烈な感動の嵐が巻
き起こりました。そこにあったモノとはオジョーのおしっこだったのです。

オジョーは功木の手をおしっこで汚さない為に自ら申し出て別の場所でおしっこをしたのです。

人間であれば何でもないことでしょうが、ハム様がこの様な利他的行動をとる動物であるとは。
ハム様一般に対しての賛嘆の念とオジョーの功木に対する気遣いに対して功木は朝から巨大な感動
に包まれました。

「ハムスターは何も考えていない知能の低い動物だ」とハム様の悪口を言う人をたまに見かけます
が、その様な人には是非オジョーの存在を知ってもらいたいと思います。

ジャンガリアン・ハムスターは取り分け個体差が激しくて、色々なハム様がいるのです。確かに何
らかの理由で誤解を与えるハムスターもいることは事実ではありますが、それは人間であっても同
じことなのです。

ではオジョーは特別なのかと言えば、正直言ってオジョーと同程度の知能レベルのハムスターは世
界中には途轍もない数がいると思われます。

何とかそれらに人間が手を貸してあげて組織化できないか?というのがこの前言及した「ハム・ソ
サエティ」のアイデアなのです。

もちろんこれはハム様たちと人間の両方にメリットがある話しで両方の種の共進化を目指していま
す。

オジョーを見ているとハムスターという動物の可能性を感じざるを得ません。朝からとてもいい気
分にさせてくれたオジョーに大サービスでミルワームを2匹(通常は1匹)あげてしまいました。

それでは。See You Next Article!

 







2014/12/09 8:28:10|その他
キャベツの食べ方にも性格が出ます
オジョーというハム様はスルメのように噛めば噛むほど味が出るハム様です。なのでその魅力に取
り付かれてしまった功木は、オジョーのお世話自体がエンターテインメント化しています。

なるほどオジョーにはシロりんほどの可憐な魅力はないかもしれませんが、やはり「知性」の観点
や、そこから来る甘えん坊具合からすると他のハムちゃん達の追随を許さないほど魅力的なハム様
なのです。

功木のハム様お世話の歴史において半ば伝説化されているエピソードをオジョーはたくさん持って
いますが、最近も新たな事実を発見しました。

それは餌場になっているケージの展望デッキに残っているキャベツの食べ残しについてです。

最近まで気付かなかったのですが、食べ残しを処分する時によく見てみると妙にキャベツの葉脈に
沿って几帳面に食べてあるのです。オジョーの几帳面な性格がよく出ているなあと思いその食べ残
しを見る度にニヤニヤしてしまう功木なのであります。

寒くなってきて空気が乾燥してきたので、キャベツを食べる量が増えてきた為に気づいたのかもし
れません。

今まではどうだったかを思い返してみても、やはりキャベツの葉の外側から几帳面に葉の形に沿っ
て食べててあった気がします。

恐らく人間であってもこれほど几帳面にキャベツを食べる人は、なかなかいないだろうと思われま
す。キャベツの食べ残し一つであっても人間の気持ちを和やかにして、心を癒してくれるオジョー
の「癒しの天才」振りにはただただ脱帽するばかりであります。

オジョーのことを書いたのでシロりんのことも書きますが、シロりんについてはペットで買う時点
で一つの危惧がありました。販売を担当してくれた店員の方がシロりんのお腹をさわって、少し張
り気味なのでもしかしたら、妊娠しているかもしれないと言ってきたのです。

それでも買いますかと質問されたのですが、功木としては第一印象を大事にしたくて、そのまま買
いました。

シロりんが功木家に来てから一週間ぐらいはシロりんのお腹のあたりを注意して見ていましたが、
あまり変化が見られませんでした。今では二週間が過ぎたのでもう大丈夫だと思います。

もし本当に妊娠していたら2週間半ぐらいで出産になったそうです。そしたら今頃は功木家の中は
大騒動になっていたかもしれません。なにしろ一度の出産で十匹前後赤ちゃんが生まれるのだそう
です。

とりあえず今回は妊娠していなかったと言うことで一件落着でしたが、近い将来、功木家のハム様
たちが出産を経験することもあるかもしれません。

それでは、この辺で。

See You Next Article!
 







2014/12/07 23:53:00|その他
人生とは一つの可能性にしか過ぎない
去年も同じ様なことを書いた記憶がありますが、これから迎えるクリスマスと年末年始をどう過ご
すかによってそれ以降の運勢が変わってくるのです。

人間誰しも一年中ハイテンションでいられない訳ですが、やっぱりこれからの数週間をどう過ごす
かって、何か目標を持って生きている人にとっては重要な意味を持ってくると思います。

少なくとも私、功木マキオにとっては全く気の抜けない期間になりそうです。

今年のハム様たちの大活躍を受けてマキオロジーにとっては重大な局面が訪れているからです。

ハム様たちのともしてくれた希望の灯りを絶やすない為にも、本当の意味での勝負の年は。来年に
なりそうなのです。

今年の夏あたりから来年以降の展開を見越して、着々と準備はしてきましたが時間が経つのが思い
のほか速くてあっという間に年末になってしまいました。

年末年始の余勢をかって来年へと繋げたいですが、今年の2月のようにまた大雪が降らないことを
祈ります。あの影響で3ヶ月も予定がくるってしまったのです。

昔は功木はこの季節なるとサルトルの言葉にあるように「人間は自由の刑」に処せられていると感
じていましたが今は「人生とは一つの可能性にしか過ぎない」といういささかペシミスティックな
感慨を抱きながら日々を過ごしています。

寒さに負けず、皆さん頑張りましょう!

See You Next Article!