師走も中旬を迎えて何となく慌ただしくなってきましたが、皆さんは如何お過ごしですか? 功木は夕方うたた寝していたら、ラジオ流れてきたヨハン・シュトラウスのウィンナワルツの調べ に目を覚まされてしまいました。元旦のニューイヤーコンサートで最後に演るやつです。
その時は一瞬、もう来年の元旦になってしまったの?とびっくりしました。その後時計のカレンダ ーで日付を確認したら11日だったので安心しました。
じっくりと焦らずに、やるべきことをやりましょう。肝に銘じた次第であります。さて本題です。
既にブログの記事の中でも書いてきたように、道州制や連邦制などの地方分権改革がある種の既定 路線であるならば、地方は如何にすれば改革の果実を最大限に味わうことが出来るのか?
これは現在において地方が直面する最大の課題であり、かつ最優先で取り組むべき問題であると思 います。
中央から伝え流れてくる分権に関する論議は、制度を変えれば人が変わるといううある種のオプテ ィミズム(楽観主義)に彩られていますが実際のところはどうでしょうか?
我々は地方分権改革というのは人間の自己実現の欲求に根ざすものでなくてはならないと考えてい ます。
今までの制度においては建前は全て国民は自由で平等だということをうたっているにも関わらず、 実際はどうでしょうか?
住んでいる場所による経済や文化、教育などの格差は看過できる範囲をとうに超えているのではな いしょうか?
人が生まれ育った地域で普通に夢を持ってそれを実現できる社会。夢の地産地消。地方分権とは、 この当たり前の社会の実現でなくてはならないのです。
その為には我々は分権に関する論点を「ポスト分権」にもっていかなくてはならないのです。
何故ならば人間の心を規定しているのは政治的制度より文化であるというアカデミックな分野に おける実証的な研究成果があるからです。
我々の研究は当初からこの文化に定位したものであり、文化的な枠組みの改変を目指しておりまし た。
このブログの中でも今年をモニュメンタル・イヤーと名付けたのも実は今年を事実上の地方分権の スタートの年と位置付けるねらいがあったのです。
かつてスピノザは人間を動かす力は自己保存の欲求であるとし、それをコナトゥスと呼びましたが 、功木は夢の自己実現する力のことをコナトゥスと呼びたいと思います。
人間とは本らい平等に夢をみて、それを実現させていく動物なのです。
地方分権とは我々の夢が自己実現されていく過程であり、それに向けての運動なのです。
それでは。See You Next Article! |