哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2015/01/08 23:44:42|その他
The Shining Naka-Bridge and Makio Kunugi
読者の皆さん、こんばんは。IDEA_MENこと功木マキオです。

今日は功木が住んでいる栃木県足利市の中心にある3本の橋のうちの真ん中の橋。「中橋」をバッ
クにした写真をお届けします。

全国的な知名度は森高千里の歌で有名な「渡良瀬橋」の方が上かもしれませんが、写真をご覧頂け
れば分かって頂けるかと思いますが、「中橋」の方がライトアップされていて夜に写真を撮るには
打って付けの景観であります。

それだけではなくて、個人的な生活者の観点からいっても、実際に橋を利用する頻度は「中橋」の
方が圧倒的に多いのであります。なので功木にとっては地元足利を代表する景観といえば「中橋」
の夜景を挙げさせてもらいたいと思います。

 







2015/01/07 21:00:52|その他
哲学形式
以前からずっと書いているように功木は歴史への挑戦を続けていますが、それは具体的には「哲学
」という西洋においては2千数百年の歴史を持った学問を通してのことであります。

つまり、それは「哲学」をこれまでのアナログ的な文字だけの文化からイメージや図表なども使っ
たコンピュータもしくはWEBベースのデジタル文化へシフトさせるという現在、全世界的な規模
で行われている「哲学のデジタル改革」の流れに棹をさすものであります。

IDEA_MEN:功木マキオの仕事の歴史的な価値はこの部分における極めて有効な方法論の開
発に成功したという点にあります。

それに関しては足利という学問における「ガラパゴス的環境」がプラスに働いた結果でもあるし、
功木の個人的な要因が絡んだ結果でもあるのです。

いずれにせよ「マキオロジー」という研究があまりにも時代に先んじていたが為になかなか同時代
の人々には理解してもらえなかったという面はあります。

しかし「哲学」という学問が本当に「知恵」に関する学問であるならば、この問題はいずれは解決
するものと思われます。

と言うのは、我々が到達した「知恵」が本当に最高のものであるならば、それは必然的に「真理」
であるからであります。

「真理」とは平成の世を生きている同時代人だけの為にあるのではなくて、これから先の後の世代
の人々の為にも存在しているのです。

それが時代を超越した「普遍」であるのかどうか?という問題は古代から哲学上の問題とされてい
ていますが、やはりそれは各々の時代の人々がそれについて考え続けなくてはならないという意味
での「普遍」であるということではないでしょうか?

「時代を超えなければ哲学ではない」これはマキオロジーのスローガンの一つでありますが、この
ことを現象学の言葉で言い換えると「イデア的でなければならない」ということであります。

さらに我々がよって立つ思想的な立場であるパース=ギブソン体系の中では「不変項である」と呼
ばれています。

「確かに我々は何かに到達した。しかし我々はそれが何であるかを知らない」1492年のコロン
ブスのアメリカ大陸発見の時のように現代人はその意味を知らないのです。

我々はその意味の分かってくる過程をプラトンのひそみに倣って「想起」と呼んでいます。

恐らくこれからの時代、革新的なスタイルの哲学はこれからどんどん出てくるでしょう。「マキオ
ロジー」がどれだけそれらに影響力を持てるのか?真価が問われているのであります。

最後にどうしても、これだけは書き添えたいのですが、やはり「マキオロジー」は足利学校=学校
様の有象無象の影響力の下にうまれた思想だということです。功木マキオが生まれ育って哲学的な
思索を重ねた場所が足利であったという事からすれば当然なのですが、もし足利に足利学校が無け
れば「マキオロジー」は絶対に誕生することは無かったでしょう。

その意味では「マキオロジー」は足利学校=学校様が生んだ嫡出子であると言えるでしょう。我々
と致しましては、是非この点を強調させて頂きたいところであります。

それでは今回はこの辺で。 See You Next Article!

 







2015/01/05 7:58:29|その他
今年に賭ける皆さんへ
今年はのっけからエンジン全開で行きましょう!!!

短いですが今回はこれで終わらせてもらいます。

・・・・FIN/////







2015/01/03 8:42:48|その他
謹賀新時代:A New Era is Dawning !
読者の皆様、こんにちは。昨日の記事で新年のご挨拶をいたしましたが、今年は余りにもおめでた
い年なので2度に分けてのご挨拶となりました。昨日の挨拶は通常の年賀の分でありまして、本日
はより巨視的な意味での「新時代の到来のご挨拶」とでも言えるものです。

さて昨年は我々の研究において長年の懸案事項であり最大の難所であった部分を「ハムニズム」の
導入という素晴らしいアイデアによって乗り越えることができました。我々と致しましてはまさに
このことによって「新しい時代がやって来た」と確信するに至った訳であります。

そして年が明けて今年2015年はその成果を具体的な作品や理論に流し込んで反映させるという
作業が残っています。しかし、ここからは肩の力を抜いてある程度楽しみながら研究に向かいたい
と思います。と言いますのは理論と実践とでは脳の使う部分が違うので、その方がむしろよい結果
が出ると思うからです。

功木としては理論的なレベルでの戦いはもう既に終えていて、後は「人事を尽くして天命を待つ」
といった心境なのであります。研究者としてやるべきことは全てやり尽くしたので、我々の成果が
どの程度の実効性を持っているのかを冷静に見極めなければならないと思っています。

今までの哲学の研究を通して功木は確信を持ったことがあります。それは新しい時代とは何処から
やって来るのか?という問題です。それは、やはり本当に切実に新しい時代を希求する一部の先覚
者の心の中、換言すればイメージの中からだということです。

偉大なフランスの哲学者アンリ・ベルクソンはこのことを「世界はイマージュの総体である」とい
う言葉で表現していますが、それは本来我々の存在している世界自体が一つの壮大なイマージュで
あるということであります。

であるからにして当然新しくやって来た時代も我々の心の中の一つのイマージュなのであります。

新しい時代が「映像」の時代だとすれば尚のこと、我々はこのことに自覚的であらねばならないの
ではないでしょうか。
 

「映像の時代」に寄せて:2015年1月3日







2015/01/01 23:02:05|その他
謹賀新年・やはり今年もハム年でお願いします
新年早々申し上げにくいのですが、ハムニストの方は今年はハム様のお世話のし過ぎに注意して下
さい。そうしないと功木のように顔がハム様に似てきてしまいます。ご注意を!

さて新年のご挨拶ですが、今年は功木マキオとしては「マキオロジー」そのものの真価が問われる
年になるだろうと思っています。去年より、より高い次元での理論的な達成が求められる年になる
のではと自覚しております。

一部の方には誤解が生じているかもしれませんが、「マキオロジー」とは基本的に哲学的な営為で
あるのです。そこから派生してメディア研究やハムニズムといったハムスターと社会の研究が生じ
てきたのです。

なので全ての研究の成果は結局、「マキオロジー」という哲学に収斂されてくるのです。我々の
哲学はそのように設計されているのです。

何故そのように設計しなければならないかと言えば、その理由は哲学という学問の背負っている
宿命にあります。

その宿命とは「ある哲学が生き残る為には時代を超越しなければならない」というものです。

これは、つまり我々の哲学が同時代の人々に評価される以上に後の世代の人々に評価されなくては
ならないということです。

そうでなければ、哲学という学問は数千年にもわたって命脈を保ってこなかったでしょう。哲学を
志す方はまずこの認識を持つことが大切であると思います。

哲学には哲学内部での自立的な価値があります。これは外からみると分かりづらいかもしれません
が、要は哲学がどのようすれば生き残っていけるかを考えるということです。

やはりこれは哲学を学んでいくと分かるようになると思いますが、哲学内部には新しい哲学に時代
を超越させる力があります。それが先の自立的な価値の作用なのです。

哲学にとっての成功とはこの時代を超越させる力へのコミットが成功するということなのです。

何だか新年早々、話が難しくなってしまい恐縮ですが、要するに功木マキオは今年も哲学を頑張っ
てやります!ということが言いたかったのであります。

それでは本年も宜しくお願いします。

2015年元旦