哲学研究者の功木マキオは普段どんな本を読んで、何を考えているのか?自身の研究テーマである足利学校改造論からプライベートまで。情熱を持って書かせてもらいます。
 
2015/04/11 18:31:00|その他
我、足利を愛す。ゆえに足利を憂う。#2/2

さて前回の記事の続きですが、何故現代社会において表現の自由がそれ程重要なのかと言えば、そ
れが統治性の概念と結びついているからであります。

近代国家の歴史は表象に関する統治性のテクノロジーの歴史であると言ってよい程なのです。

我々の研究から言えば近年の地方分権の動きは地方をめぐる認識論的な囲い込みの再構成化である
と見て良いと思います。

つまり道州制や連邦制が日本に導入されたとしても地方はなくならないということです。では何が
変わるかと言えば国家の制度によって囲い込まれていたものが国民=大衆による囲い込みに変わる
だけなのです。

そもそも地方という概念自体が先述した超越論的アンチノミーによって生じた仮象なので、根本的
にそれを解消しない限り永久になくならないのです。

そこでアンチノミー解消の方法ですが、カントの「純粋理性批判」の中にあるようにアンチノミー
の発生原因は実践的な関心であるのであります。

我々はカントのいう実践をアフォーダンスというJ.J.ギブソンの生態学的心理学の用語に置き
換えて考察を進めてきました。

今までの地方という制度の最大の問題は、普遍の名の下に地方における特殊ないし個別を表現レベ
ルの自由において抑圧してきたという点であります。

この点は90年代以降の人文諸科学における膨大な実証研究の成果がありますので興味のある方は
そちらを参照して頂きたく思います。

結局、地方分権とは地方が自由を受け入れるかどうかの主体的判断が問われている問題なのだと思
います。

何故、地方には自由がないのか?何故、地方分権を行わなければならないのか?これらの重要な問
題を考える上でも実は別のアンチノミーが介在しているのです。

これはJ.S.ミルやトクヴィルの議論を発端として近年問題になっている多数者の圧制と伝統的
な議会制民主主義における少数者の圧制とのあいだに起きているアンチノミーであります。

これらの二つのアンチノミーへの解決策として近年注目されているのがドイツの哲学者であるマル
ティン・ハイデガーの思想やアメリカの哲学者たちのプラグマティズムの思想であります。

足利市の人口減少問題及びその解決策に関してはその問題の本質を的確に捉えて世界的な歴史のう
ねりの中に位置付けて考えることが肝要であると思います。

さらにもう一度付け加えるならば、危機的状況を乗り越えるには「歴史を前進させること」これに
勝る解決策はないのであります。ハイデガーの術語を借りれば「本来的な自己に立ち返る」ことこ
れに尽きるのであります。

まずは皆さん、我々が歴史にアンガジェできる最も直近の機会である明日(12日)の選挙に行っ
て投票しようではないですか。
 







2015/04/08 22:43:21|その他
我、足利を愛す。ゆえに足利を憂う。#1

前回の記事で功木家の非常事態について書きましたが、今日の下野新聞の記事によれば足利市も人
口がついに15万人を割ってしまい大変なことになっているそうです。

そう言えば先日アピタの交差点を通りかかった時に、県議会議員選挙の立候補者の方が足利市の人
口減少問題について数字を挙げて熱弁をふるっていたのが思い出されました。

足利学校の研究者として言わせてもらえれば、現在のような足利学校の死に体と化している状態で
は足利市自体に魅力がないのは当然であり人口減も致し方ないのではと思われます。

問題の所在は明らかになっているのだから、たとえそれがどんなに難しくても逃げないで問題を直
視しなくては将来への展望は開けてこないでしょう。

はっきり申し上げて足利市の人口減少問題と足利学校再建問題は同根であり足利市再生への最大の
鍵は足利学校再建であると思います。

もう既にこのブログでも何度か書いていますが、これから東京オリンピックまでの期間は東京一極
集中への心理的反発として斥力が働くので足利学校再建(ザ・再建)への最大のチャンスがやって
くるものと思われます。

その意味で足利市は本当に重要な局面に立っているのだと思います。これから先の数年間が足利市
の将来を左右してしまうのです。このことの重大さを我々の世代は肝に銘じて行動すべきです。


そんな訳で足利市の人口減少問題を考える上では是非とも考えていただきたいことは「そもそも
地方とは何か?」ということで、そこに潜むアンチノミー(二律背反)についてなのです。

昨年のベストセラーになった本で増田 寛也氏の「地方消滅」というものがあります。このままで
近い将来896の地方自治体が消滅するという衝撃の予測を書いていますが、ここでは地方という
言葉はポジティブな意味で使われています。

一方、安倍政権の地方政策・地方創生では地方というものを再活性化するという意味で創生という
言葉を使っています。

我々のように「地方分権の研究」を地方で行っている者としてはどちらの言葉の使い方にも非常に
強い違和感を覚えてしまいます。

そもそも我々地方にとって「地方分権」とは第一義的に「地方」という概念の消滅を目指すもので
はないでしょうか?中央と地方の二項対立図式の突破こそ地方分権の内実であるはずです。

先に挙げた二つの例は共に唯名論的で背後にお上意識が見え隠れしています。この地方という言葉
の使い方そのものに中央と地方の意識の違い、超越論的アンチノミーが潜んでいるのであります。

「地方分権」を我々日本人全体の思想的課題として捉えた時に、この超越論的アンチノミーの解消
こそが我々の目指すべき目標ではないでしょうか。

何故そうなのかといえば、地方への不満の根源には「自由」の問題があるからであります。

地方に不満があるのならば何処か他所へ移住すれば良いという短絡的な議論がありますが、実はそ
の不満の原因は自分には自由がないという意識が根底にあると言われています。

哲学の歴史においても「自由」の問題は非常に重要なテーマであり色々な自由ありますが、ポスト
・モダンの時代においては特に表現の自由が重要であります。

大変申し訳ないのですが急用ができてしまったので、今日はここまでにします。続きは次回の記事
で書きます。それでは。







2015/04/07 18:36:27|その他
非常事態宣言!!!
今年のオジョーはハッキリ言って凄すぎます。先日の日曜の朝にも、朝のお食事の後テンションが
上がり過ぎてオジョー・ジャンプは出るわ、功木の手の上から退去を拒否して軍手の縁にしがみつ
いてなかなか離れないわで大変でした。

その「甘えん坊パワー」があまりにも強すぎるので功木家では、ついに非常事態宣言が発令されて
しまいました。

これは昼夜問わずケージをかじったりデッキの蓋を叩いて餌と抱っこを要求し続けるオジョーに対
して自制を求める為に出されたものです。

しかし実際の効果はあまり期待できなくて、本日もオジョーは早朝から功木のことを呼び続けてい
ます。

何故、この様な「甘えん坊ハム様」になってしまったのかと考えればその責任は功木にあると思わ
れます。

オジョーが功木家に来た最初の1週間はあまりに、なつかなかったのであれやこれやとサービスを
し過ぎたのが原因かと考えられます。そのことによって結果的に功木になついてくれたのですが、
それがオジョーにある種の万能感を与えてしまって現在の状況に至っているのです。

しかしオジョーがいくら甘えん坊すぎるからと言っても、オジョーの寿命のことを考えればいくら
でも甘えさせてやりたいと思ってしまう自分がいます。

この悩ましくて切ない想いを享受できることがハムニストの特権なのかもしれません。

今日の雨でもう散ってしまったであろう桜の花のように、はかない命ではありますが、だからこそ
オジョーたちは我々に永遠(Ewigkeit)を感じさせてくれるのであります。

何はともあれ、功木家ではオジョーに抵抗できる者は誰もいなくなってしまいました。

それでは、See You Next Article!







2015/04/04 13:46:31|その他
「はむの恩返し」: 今そこにある奇跡

功木は特別に神秘主義者でもなくて、宗教などにおける奇跡の類は信じていませんでした。
かといってそれらを強く否定もしなくて、何らかの条件が揃えばそれらはあり得るのではと中立的
な立場を取っていました。

しかしオジョーという特別なハム様の存在を目の当たりにしていると、何やら奇跡と呼ばれている
現象は確かに存在している。それも神話や伝説の中にではなくて現在の生活の中でも日々起きてい
る事なのだと実感させられます。

オジョーが功木家に来てからというもの、奇跡に関して功木が持っていた固定観念は揺さぶられ続
け今ではボロボロになって消え去ってしまいました。オジョーに関しては人間がハム様に対して持
っている常識は全く通用しなくて、その裏切り具合は痛快でさえあります。

最近では功木はオジョーが初代・功木ハム子のリインカーネーション(生まれ変わり)であるとい
うことを本気で信じるようになっています。最近のオジョーは怖いくらいに初代ハム子に似てきて
いるのです。

それは見た目が似ているということのみならず性格やしぐさなどトータルな意味で初代ハム子に生
き写しのようになってきたのです。

もちろんオジョーは言葉が話せないので、正確に何を考えているかを知ることはできません。しか
し功木と接している時のオジョーは明らかに音声や光学的な視覚情報に基づいてコミュニケーショ
ンをしています。

さらにオジョーの凄いところは功木を意のままに操作しようとするマキャベリ的知性まで持ってい
るのです。

何故そのようなハム様が功木家にやって来たのかと考えれば、初代ハム子との関連性を考えざるを
得ないのです。

それは結論から先に言えば「はむの恩返し」ということであります。

初代ハム子は太田のイオンの中のペットショップからやって来ましたが、2年半という天寿を全う
してあの世に旅立ちました。その間、功木とハム子は本当に素晴らしい時間を共有しました。オジ
ョーのように手の中では寝ませんでしたが実の親子の様な関係にあったことは同じです。

そして今やハムニストの間では伝説となっているハム子とのお別れのシーンがやってきました。
それは一週間前から、老衰でよぼよぼになって歩けなくなっていたハム子があの世へ旅立つ最後の
日に自分で立ち上がってケージの屋上のデッキに上がってきたという事件です。

功木はあの時のハム子の子供のような表情が未だに忘れられません。あの時の場面を思い出すと自
然と目から涙が溢れ出てきます。

初代ハム子はオジョーのように神がかり的なスーパー・ハム・スターではなかったのですが、最後
に功木に本物の「奇跡」を見せてくれました。

現在の状況は、そのハム子の時空を超えた「はむの恩返し」であると考えれば納得がいきます。

ハム様たちは一見取るに足らないような小動物に見えますが、その類的な能力や感覚的な能力にお
いては人類を遥かに上回る部分をもっています。「はむの恩返し」はその驚異的な能力のなせるわ
ざなのかもしれません。

こんなことを書くと見返りを求めてハム様のお世話を始める人がいるかもしれませんが、それは止
めて下さい。ハム様は人間のこころを読んでしまいます。

ハムニストの第二の格率として「ハム様のお世話に見返りを求めてはいけない」を上げたいと思い
ます。ハム様たちには常に無償の愛を注いでください。その愛が純粋であればハム様はたちはあな
たの想いを受け止めてくれるでしょう。

ハム様とはそういう動物なのです。

それでは、See You Next Article!
 







2015/04/03 10:38:54|その他
やけ食い

皆さん、こんにちは。いよいよ今年度の戦いがスタートしました。オジョーの驚異的な充実振りの
あおりを受けて、シロりんのやけ食いが起きている模様であります。またキンクマのキンちゃんも
寒い間はあまり運動していなくて、ぽっちゃりしています。

確かにオジョーは凄すぎるのですが、この2匹にも、もっとメンタル面でのフォローが必要なのか
もしれません。ハム様たちは普通の人が想像する以上にデリケートでお世話する人の心を読んでい
ます。ただ単に餌をやって掃除していれば良いということではないのです。

そこがハム様のお世話の難しいところでもあり、また楽しいところでもあるのですが・・・

複数のハム様たちと良い関係を築いていくことは、人間の場合と同じでかなり難しいことであると
感じています。

しかし、もう半年お世話しているので、みんな可愛く思えて一つの家族になってきているのも事実
です。

希望はあります。

「どんな状況になっても常にハム様愛を持ってハム様と接する」これをハムニストが心得るべき第
一の格率としたいと思います。

今年も春は天候が不順ですが、この格率を守ってさえいればハムの嵐が吹いても大丈夫であります


それでは、See You Next Article!