足利市は色々な意味で非常にハードルが高いまちであると思います。それは自身の誇れる歴史や文 化によって自縄自縛になってしまっているということであります。
でもそれは肯定的に捉えれば足利で成功したした人はそのまま日本全国や世界でも通用するという ことであります。足利市には色々な分野で優秀な人たちがおりますが、その辺の高いハードルまた は厚い壁をどうやって突破するのかということがこれからの課題であると思います。
その為には足利市は「突破するイメージ力」を持った人材を確保するべきだと思います。今までの 足利市は言ってみれば今の男子サッカーの日本チームみたいもので、優秀な選手たちがパスばっか り回していて、試合では優勢なのに終わってみれば負けてしまう感じです。
世界の強豪チームみたいに、多少型破りでも圧倒的な決定力のあるストライカーがいなければ世界 では戦えないのです。これからのまちづくりにも同じことが言えると思います。
突破するイメージ力とはここでは概念に対する想像力つまり産出的想像力のことで言葉や映像など 創り出して操作する能力のことです。
その様な人材を如何に確保するか?これを中・長期的な展望のもとに立って戦略を立てていくこと 。これが足利クライシスから脱出する最良の方法であると思います。
それともう一つ付け加えたいのは、学問でも文化でも芸術でも常に新しいものを創り続けていかな ければならないということです。常に新しい価値を創造し続けていかなければならないのです。
私はこれに反する学問・文化政策は間違っていると思いますし、実際にまちの衰退の大きな要因に なっていると思います。
その意味において現代において世界屈指の潜在能力を秘めた文化資本である足利学校を擁する足利 市が反転攻勢をかける為には市民の意識改革は絶対に必要なのだと思います。
オール市民が一つの方向に向かって突き進むには、やはりその前提条件としての共通概念の共有や 合意形成のシステムの構築が必要になってくると思います。
我々は個別的かつ具体的な文化的形成物としての作品とそれらを合わせて「市民哲学」と呼んでい ます。 その理念が具現化される際の駆動装置が「WEBシネマ・43」なのです。
なので当然それは足利市民の精神性の根幹に関わる「足利学校=学校さま」の表象不可能性への 挑戦であり、不可避的に自己言及的になってなってきます。
to be continued
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